要介護の認知症の高齢者がいま300万人を超える。うち精神科病院に入院が5万2000人(平成20年)いる。12年間で2倍。しかも退院できない人が6割にもなるという。暴力や暴言、妄想、徘徊の重症(BPSD)のためだ。
介護施設は受け入れ拒否、家族は面倒見きれない
群馬・高崎市の65歳の男性が、介護職員に伴われて精神科の病院を訪れた。高齢者住宅での暴言、暴力が理由だった。職員は「施設では夜間は担当が1人なので、事故が起こったら責任が負えない」といった。
ここは年に150人が入院する。認知疾患治療病棟の53床は常に満床だ。病棟にはカギがかかる。他人への危害や転倒予防に安全ベルトをつけることもある。攻撃性を和らげる薬を投与するなどで、多くは1か月ほどで症状は治まる。しかし、半数以上が1年以上の長期入院だ。
70歳の女性は3年を超えた。暴力などの症状はなくなったが、ひんぱんに歌を歌うために施設から断られ、次第に体力が落ちて歩けなくなり、食事も自力でとれず、ますます施設入りが難しくなった。「家へ帰りたい?」「はい」と答える姿が悲しい。
7月に埼玉県内の精神科病院に入院した80歳の男性の例は深刻だ。4年前に認知症と診断され、2年前から木刀を振り回したり、夜中に畑仕事に出たりで、家族は眠れなくなった。介護していた娘は「父を殺して私も死んだ方が楽」とまで思い詰めたという。
いまは退院もできるまでになったが、入院前の記憶から受け入れができずにいる。「恐怖がある。日常生活が心配で」と娘はいう。障子は父が壊したままボロボロだった。
敦賀温泉病院院長で精神科医の玉井顯氏は「BPSDの多くは認知症を正しく理解していないことからきます。家族も心に傷を負いトラウマになって、精神科が最後の砦になっている。長期入院で身体・生活能力が落ちるという悪循環です」という。
精神科医と家族、介護施設スタッフらが協力して「入院減らし」
厚生労働省も「入院減らし」に動き出した。模索も始まっている。石川・かほく市の県立高松病院(120人)では、4年前から精神科の医師ら専門家が積極的に病院の内外で動いている。ひとつは、家族の不安の解消だ。入院で暴力の症状が治まった男性の家族と介護施設の担当者らが集まって、病院での様子などから対策を練る。 「やってみて、ダメならまた入院すればいい」と医師がバックアップする。
別の男性患者では看護師や作業療法士が自宅を訪問して、状況をチェックした。男性には「幻視」があった。症状の元になりそうなガラス戸やテレビの反射までを考える。副院長の北村立医師は、介護施設を訪問する。夜中に大声を出すようになった90歳の女性は、診察で足が痛いらしいとわかった。痛み止めを処方して治まった。BPSDを未然に防ぐ、これも入院を減らす手だてだ。
初期の認知症の82歳の女性は、自宅での家族の聞き取りで、時間がわからなくなって、楽しみだった「健康クラブ」に参加できなくなったストレスがわかった。家族がバスに乗せるなど手助けすることで解消した。
北村医師は「落ちてきた機能や能力をみんなで支えないと、(精神科病院が)最後の砦になってしまう」という。高松病院では重症になってから来る人が減り、この2年は2か月くらいで退院しているという。「ノウハウをもっている精神科のスタッフが外へ出るべきです」
玉井氏はこの成果を、(1)チーム医療(2)生活の場を見て対処(3)バックアップの保証にあるという。「病院の内と外でのバックアップ態勢がすばらしい。必要なのは啓発です」
十数年前の父と母を思い出した。BPSDではなかったが、施設で類似の症状や経緯は確かにあった。あらためて「知らなかったな。かわいそうなことをしたのかな」と考え込まされた。
ヤンヤン