森光子なぜジャニーズを可愛がったか?賑やかな男遍歴の末に「家族への飢え」
「週刊文春」で先日亡くなった森光子の「男放浪記」をやっている。それによれば、森は大正9年に京都の花街・木屋町で、芸妓と京都帝大法学部に通う学生との間に生まれた私生児だった。幼少期は何不自由なく育ち、当時、男装の麗人として人気のあった水の江瀧子に憧れ、叔父の長男だった俳優・嵐寛寿郎のところに預けられて、14歳で芸能界の道を歩み始めたそうだ。
女優として大成したが、男遍歴でも相当なものだったようだ。結婚2回、事実婚、不倫で計10人と文春が書いている。好きになる男には同じ傾向があったと、彼女を知る舞台関係者が語っている。
「好みの顔はみな同じ。白哲の美男子ってやつですよ。顔が細くて、インテリ風の、キュッと目が切れ上がった感じの。鼻が高くてね。昔で言うなら苦み走った良い男」
森は男に尽くす女だったようだ。だが彼女にも老いが忍び寄ってくる。「昭和も押し迫った頃、六十代後半に差し掛かっていた光子は、家族に対する飢えを感じ始めたのだろうか。ジャニーズの少年たちを引き連れて舞台を鑑賞したりする姿が目立ち始める。とくに少年隊の東山紀之との「恋人以上、夫婦未満」の関係は周知の通り、最晩年まで続いたのだった」(文春)
最後は、病床でジャーニーズのことを話しているうちに、眠るように息を引き取ったという。