新聞・テレビが報じなかった丹羽・前中国大使「尖閣で日本はオチンチン丸出しの笑いもの」

富士フイルムが開発した糖の吸収を抑えるサプリが500円+税で

   21日の夜(2012年11月)、東京・根津のあたりを歩き回った。立川談志師匠の一周忌だったからだ。地下鉄・根津駅から根津神社のほうへ歩く。「根津のたいやき」や師匠の好きだった「八重垣煎餅」の少し先のマンションが師匠が晩年を過ごしたところである。この上の階で、せんべい布団にくるまって寝たり起きたりしていた。

   9時を過ぎていたから、マンションの出入りもない。人影のない師匠が愛した根津神社をぶらぶらして、再びマンションの前に戻り、すぐ横にある居酒屋「銀泉」へ入る。このあたりの店の多くに、師匠直筆の短冊や色紙があるのだが、見回したが、ここにはそうしたものはない。熱燗と煮込みを頼む。

   ウオークマンに入れていた師匠の「金玉医者」をイヤホンで聞く。ほとんど師匠の創作といっていいナンセンス落語だが、何度聞いても爆笑ではなく「笑みがこぼれる」落語である。

   そこを出て根津神社とは反対の路地裏へ入る。住宅に囲まれた小さな公園があり、ブランコが揺れている。誰もいない公園のブランコに乗り「命短し 恋せよ乙女」と唄ってみる。黒澤明の『生きる』のワンシーンである。このブランコに師匠も乗ったことがあるだろうか。無性に師匠の「芝浜」と「らくだ」を聞きたくなり家路を急いだ。

「領土問題は存在しないなんて世界で通用しない。裸の王様だ」

   さて、11月14日に閉会した第18回中国共産党大会だが、それとともに北京を去った初の民間駐中国大使・丹羽宇一郎前大使が、在北京日本人記者クラブが主催して開かれた送別会で、以下のような問題発言をしたと「週刊現代」が報じている。

   宴もたけなわになり、花束贈呈に続いて丹羽大使の締めの挨拶になった。「日中関係の局面は、ここ最近で大きく変わった。これ以上中国と関係が悪くなったら、40年前の国交正常化前に戻ってしまう。そんな中で北京を離れるのは正直言って心残りだ」

   大使としては真っ当な所感を述べていたが、まもなく離任という安心感もあってか、発言内容は次第に過激になっていった。「だいたい日本政府は、『尖閣諸島について領土問題は存在しない』なんて言ってるだろう。いまどき『領土問題がない』なんて言ったら、世界中の笑いものだよ。こんな主張は、パンツを穿いてないのに、自分だけパンツを穿いてると主張しているようなものじゃないか。外国から見れば、日本がオチンチン丸出しで騒いでいるようなものなんだよ。つまり日本は裸の王様だ。こんな主張は、早く止めるべきだ!」

   この発言に会場は凍りついた。大使という肩書で、日本の外交政策に楯をつく発言をしたというのは、確かに問題があるだろう。それにたとえに品がない。もっと問題なのは、この発言を複数の記者が本社に送ったのに、過激な発言過ぎると掲載を見送ったことである。

   丹羽大使(当時)とは北京で会ったことがある。その前に南京で「南京大虐殺記念館」を見てきたので、私は反中国主義者ではないが、あれを見せられると、私のような者でも中国への嫌悪感を抑えられなくなったと話した記憶がある。大使はそうですかと頷いていた。民間大使らしく、気さくでソフトな話しぶりが印象に残っている。

   日中関係が厳しい中、大使という重責から解き放たれたために口が滑ったのだろうか。だが、これだけでは何を言おうとしたのか理解に苦しむ。日本人にもの申したいなら、新聞や雑誌に書いて信を問うべきが筋であろう。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

姉妹サイト