石原慎太郎「隠し子30歳」この記事キッカケで初めて会うよ―裕次郎似のイケメン

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「どうしてくれるのよ」ホテルのドアを叩き続けた銀座ホステス

「彼女がこれまで何の仕事をしてきたかは聞いていない。でも、僕から金額は言わないが、養育費も学費も出し、自分では完璧に責任を果たしたつもりです。借金をしたり、物を売ったりして、必死におカネを作った。石原プロが僕の代わりに養育費を払ったかって? それは、ナンセンス。まったく違う。無責任な謀略情報が流れているなんて初めて聞きました。80歳の老人の昔の情事などに、永田町は関心なんてないんじゃないの……。でもね、あなたたちのおかげで息子から連絡が来て、今度、初めて会うことにしましたよ」

   こう話しているのは都知事を突然辞任して国政に打って出ると発表した石原慎太郎である。「週刊新潮」が石原と元銀座のクラブの女性との間に隠し子がいて、現在30歳になると報じている。新潮も書いているように、石原が国会議員生活25周年のスピーチを国会でして突然議員辞職した翌年、「フライデー」(1996年3月1日号)でも報じられているし、有名な話ではある。

   付き合ったのは、彼女が22歳、石原が49歳の頃だそうだ。だが、彼女が妊娠してしまう。彼女は石原が泊まっているホテルに押しかけ、「どうしてくれるのよ」とドアを叩き続けたが、石原は出てこなかったという。その後は、石原プロの幹部が店のママと対応を協議した。24歳で彼女は子供を産むが、石原がその子供に会うことはなかったと、元同僚ホステスが語っている。石原が子どもを認知したのは1994年、子どもが11歳の時だった。

   その同僚ホステスが、その男の子のことをこう語る。「子どもは身長が高く、見た目は慎太郎さんよりもどちらかというと裕次郎さん似のイケメンですよ」

   今回、新潮は彼女の父親に話を聞いている。「孫はもう30歳になった。これまでアルバイトをあちこち転々としていたけれど、今年2月、『就職したよ』って電話を寄越した。『良かったね』と返事をしたが、孫の将来がどうなるか俺には分からない。ただ、就職するにあたって、あちらの厄介にはなりたくないとハッキリ言っていた。孫の心意気は俺にとっては、嬉しいと言うべきか、悲しいと言うべきか…」

   再び国政を目指し、ひよっとすると総理の座もありうると囁かれる注目人物だけに、こうした超旧聞も流れてくるのだろう。そっとしておいてやればいいのにと思わないでもない。想定内だったのだろう、石原の受け答えは平静で大人の対応である。新潮の取材がきっかけで息子との対面を果たすことになった石原は、息子に何と声をかけるのだろうか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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