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島田紳助のバイクレース仲間が告白「自分は三億円事件の犯人だ」

   文春が「三億円事件」の白バイ実行犯が島田紳助の友人だった可能性があると報じている。全国紙社会部記者がこう語っている。「昨年八月、タレントの島田紳助が暴力団との交際を理由に芸能界からの引退を表明しましたが、その後の取材過程で意外な話を耳にしました。紳助と接点のある人物のなかに、あの三億円事件への関与を疑われた人物がいたというのです。かつて紳助は、鈴鹿八時間耐久ロードレースという日本最大級のオートバイレースに『チーム・シンスケ』を率いて参戦していたのですが、その中心ライダーだったAという人物です。一時は大阪府警も確認に動いたと言われています」

   漫才ブームの時に紳助と親しくなり、心を許しあう中になったそうだ。Aには不可解な過去があり、自分から三億円事件の犯人だと語ったそうだが、その内容には信憑性があるというのである。昔からモンタージュ写真に似ているといわれ、警察は別れた妻やレース関係者に事情聴取に行ったと、Aが取材で話している。当然ながら、自分はやってないと全否定しているが、文春は追及の手を緩めない。

「疑惑の『発火点』を求めて、取材を進めた。この病室(紳助が生死の境をさ迷う病気になった=筆者注)で起きたことを、当時を知る関係者がこう証言する。
『実はAが紳助に事件のことを打ち明けたのは一度だけではない。Aは病室で苦しむ紳助に、再び三億円事件の話をしているのです。自分の過去を告白し、「それでも俺は生きているんや。お前も生きてくれ」と涙を流して語ったそうです』
   心から信頼し、遺書まで預けた男が生死の淵をさまよっているときに、果たして嘘をつくことがあるのか」

   内容的に犯人と決めつけるにはまだ弱いが、この手の話は面白い。事件からもうすぐ44年になるが、まだまだ「あいつが三億円の犯人だ」という情報は出てくるに違いない。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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