福島原発「高線量被曝作業員」告白!アラーム鳴り続ける3号機地下でケーブル設置

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   「直撃御免」コーナーに福島第一原発の元作業員が登場した。昨年3月24日(2011年)に、爆発した3号機の電源復旧のために建屋に入り、3人が高度に被ばくし、うち2人が福島県立病院に搬送されたが、以後の詳細は一切発表されてなかった。

   当時、現場には6人がいたが、東京電力は作業員の名前はおろか、協力企業(下請け)名すら発表を拒んだ。「とくダネ!」は6人を探し続け、事故から588日目のおととい30日(2012年10月)、 ついにその1人を探し当てた。Aさん46歳。事故のあと土木関係などのアルバイトをへて、いまは除染作業をしている。妻と長男のためなりふりかまっていられないという。あのときいったい何があったのか。

東電関係者あまりの数値に「ただちに撤収!」逃げてった

   あの日の午前、Aさんら6人は地下の配電盤に電源ケーブルを設置するため3号機建屋に入った。元請けの関電工の作業員2人と下請け作業員4人だった。まず3人が地下に下りた。地下は汚染水が溜まっていた。東電からは「危険な状態ではない」と聞かされていたが、3人ともAPD(線量計)のアラームが鳴った。毎時20ミリシーベルトを超えると鳴る、でっかい音だった。一般人の年間被曝限度は1ミリシーベルトで、それが1時間で20ミリシーベルトだ。

   3人が1階に戻ったのと入れ替わりに、東電の柏崎刈羽原発チーム数人が同じ地下1階の作業に入って汚染水を測定した。「400ミリ シーベルト」と出て、柏崎チームは大声で「撤収!」と怒鳴り、5分で全員が逃げ出した。Aさんは「そこで6人はかたまっていたけれど、慌てましたね」と話す。

   下請けの3人は地下へ降りることを拒否した。関電工の2人は「APDも誤作動するし、壊れることもしょっちゅうあるから」と、下請けの1人と地下へ下りた。汚染水に足をつけながら、作業は1時間にも及んだ。Aさんは恐怖にかられたが、その場にとどまった。「自分だけ逃げるわけにもいかない。恐ろしいのを通り越していた。何が何だかわからない」という。

   関電工の作業員は上がってくると靴を脱いで、中に入った水をジャーッと捨て、足が濡れたと話していた。「何を考えてるのかわからないですね。平気でそれを言えること自体が…」とAさん。拾ってきた袋で足を縛って免震棟へ戻ったという。水につかった3人の被ばく量は最大180ミリシーベルトだった。1階にいたAさんらも最大11ミリシーベルトだった。

   被曝線量オーバーの結果、事実上、会社を解雇された。しかし、関電工の作業員はまだ働いているという。使い捨ては下請けだけというわけだ。関電工はこれについて、「結果的に被曝量が高くなったことは申しわけないと思う。ただ、やめた事実をつかんでいないのでコメントのしようがない」と話している。関電工はなぜ作業を続けたのか。関係者はぽつりと言った。「(東電は)殿様ですから、逆らったら『じゃあいいよ、別の会社いくらでもいるから』ってのは暗黙の了解ですね」

   「とくダネ!」はきのう31日、東電の会見で「当時の被曝線量管理はどこがやっていたのか」と聞いたが、答えは「いま聞かれてもわからない」「請負工事は元請けが責任をもつ」とだけだった。

きょう労働安全衛生法違反で東電と関電工を告発

   司会の小倉智昭「このときのAさんたちは、自分のためじゃなくて、国民のために何とか事故を食い止めようという思いだったんでしょう」

   取材した海野麻実レポーターは「事故直後に行った人たちは使命感が高かったと思います。一刻も早く復旧したいをいう思いだったという方が多い」という。

   司会の小倉智昭「Aさんは泣き寝入りなのかな」

   海野「そういってました」

   しかし、Aさんはきょう1日午後(2012年11月)、労働安全衛生法違反で関電工と東電を告発する会見をすると話していた。東電には線量管理の徹底、放射線防護策の充実、関電工には必要な防護措置を講じなかったとして罰則適用を求めるという。現代の原発哀史だ。だれかが声を上げないといけないという思いからだった。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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