日本だったらどうなる?「地震予知」外れ禁固6年―刑事責任問われる可能性

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   このニュースはちょっとした衝撃だ。2009年にイタリア中部・ラクイラで死者309人を出した地震で、「大地震の可能性は低い」と予報した地震学者5人と政府関係者2人に禁固6年の実刑判決が下った。事の次第はこうだ。ラクイラには群発地震が続き、住民の不安がつのる中、地震学者が「大地震になる可能性は低い」と判定、地震関連の政府関係者はこれを「安全宣言」として伝えた。その6日後、マグニチュード6・3の地震が襲った。 被災者は7万人にもなった。人々は「危険といわれなかったから逃げなかった」「おかげで家族が死んだ」と言い、とうとう地震学者ら7人が過失致死傷罪に問われる前代未聞の裁判になったのだった。

   22日(2012年10月)の判決はきびしいものだった。求刑の禁固4年に対して6年が言い渡された。むろん被告は控訴したが、自然災害に学者は責任を負わなければならないのか。日本でもありうることなのか。

日本地震学会は「予知」やめて「予測」に言い替え

   地震国日本の現状、とりわけ「地震予知」のありように目を向けてみると、これが意外なことになっていた。日本地震学会のシンポジウムでは、「地震予知は現状では非常に困難」とされ、「地震予知」という言葉すら消えかけていた。どういうことか。地震学会の加藤照之会長はこういう。

「明日あるいは数日後に起こるというような、警報・警告を含めた実用的な予知を研究しているように思われているが、そうではありません。国民が『地震予知』と思っていることよりはるか手前の、基礎的研究をしているのです。日本列島の下がどうなっているのか詳細に知ってもらうのが研究の目的なんです」

   日本で地震予知のプループリントが出たのは1962年だ。80人の地震学者が発表した「地震予知 現状とその推進計画」という提言だ。そこには「地震予知がいつ実用化するかについて現在は答えられない。しかし、10年後には十分な信頼性をもって答えられるだろう」とあった。以来半世紀たっても地震予知は現実のものにはならなかった。この間に、阪神・淡路大震災(95年)、新潟県中越地震(04年)、 東日本大震災(11年)があった。どれも予知できなかった。

   加藤会長はそれでも「手を抜くと次の地震を捉えるとこができない。それは避けなければ ならない」という。研究では数々の成果をあげた。観測機器の進歩で緊急地震速報や耐震・免震技術も現実のものになった。しかし、地震予知検討委員会はいま、「予知」ではなく「予測」という言葉に置き換えようとしているのだそうだ。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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