気さくで冗談が大好き、普段は「大阪のおじさん」と呼ばれている京都大の山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞した。人の皮膚など体の細胞を受精卵のように初期化した「iPS細胞」と呼ばれる革命的な万能細胞作製が評価されたものだ。国谷裕子キャスターがさっそく山中教授に話を聞いた。
真打登場に「当然の受賞」と声がかかる中で、本人は「実験は成功したが完成ではない」といたって謙虚。その山中教授にiPS細胞の未来について聞いた。これからが正念場というものの、国際競争のスピードアップで難病の解明や新薬開発は意外に早いという印象だった。
「これまで暗闇でバットを振り続けてきた」
国谷「以前インタビューさせて頂いた時に、先生は『iPS細胞の研究は暗闇の中でバットを振り続けているようなものだった』とおっしゃったのがとても印象的でした。多くの人が不可能だと認識していた中で、どんな思いで研究をされたいたんですか」
山中「暗闇でバットを振っていた思いはその通りです。ただ、見えないけれどもボールが飛んでくるのはわかっていました。なぜかというと、今回一緒に受賞することになったジョン・ガードン先生(英ケンブリッジ大教授)が非常に難しいけれども、そういうことができるということを、1962年、私が生まれた年に示されていた。
私たちには早すぎて暗くて見えないんですけど、そういうボールがきている。それが分かっていたからこそ研究を始めた。そのガードン先生と共に同じ賞をいただくのはこの上ない喜びです」
国谷「当初、予算も300万円。これがうまくいかなければ基礎研究はもうやめようという思いでいたと前におっしゃっていましたが…」
山中「(成功の)可能性は非常に低いことはよく分かっていたんですが、同時にそれを楽しむ、空振りを続けても命までは取られない。高橋君にも言っていたんですが、『空振りでもいい。僕も医師だから山中クリニックでも開いて雇ってあげる』と。彼もそれを楽しんで、引き受けてくれた。そういう楽しむ気持が幸運を呼び込んでくれたと思っています」
高橋和利京大講師(34)は、山中教授が奈良先端科学技術大学院でiPS細胞に繋がる研究をスタートさせた時に研究室に入ってきた。以来12年間、山中教授と二人三脚で取り組んできたいわば右腕である。
「難病や患者少ない希少疾患の新薬もドンドンできて欲しい」
国谷「iPS細胞の未来ですが、世界各国で研究が広がることによって、産業としての期待をどう見たらいいですか」
山中「難病とか患者さんが少ない希少疾患といった病気に対しては、利潤という点では期待できないので、どうしても遅れがちで発展してきませんでした。iPS細胞を切り口に難病や希少疾患の薬がどんどんできて欲しいですね。
日本には優れた製薬会社がたくさんあります。薬の候補といいますか、多くの国では人工的に作った加工物を探しているんですが、日本は加工物に加えて、天然物、カリンとか自然に存在するものから抽出する素晴らしい宝のような薬の候補がたくさんあるので、製薬会社と協力して進めていきたいと思っているんです」
国谷「2020年をめどに臨床応用を目指すとされていますが、今のペースで実現できそうですか」
山中「それは病気によると思います。脊椎損傷とかは十数年かかると思うが、網膜疾患は相当早いペースで進んでおり、来年は臨床研究が始まる。10年後にはそこから本格的な治療へ進んで行くと思います」
失明の恐れがある加齢黄斑変性については、理化学研究所が早ければ来年に臨床試験を始める。脊椎損傷については、山中教授が脊椎が傷ついた小型サルとマウスにiPS細胞から作った神経の元になる細胞を移植し、治療効果があったことを報告している。
モンブラン
*NHKクローズアップ現代(2012年10月10日放送「ノーベル賞受賞 山中伸弥さんに聞く」