ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥・京大教授がきのう9日(2012年10月)、夫人の知佳さんを伴って会見した。「家に帰ると笑顔で迎えてくれる」「家族の支えがなかったら」…。夫婦で会見するのは多いが、ここまで奥さんを立てた人は珍しい。
旧友「大学を神戸にしたのも、大阪にいた彼女と離れたくなかったから」
2人は中高校の同級生で、ともに50歳。 知佳さんは皮膚科医で、大学卒業後に結婚している。山中が臨床医を断念し、研究の道に入ったいきさつから何から全部をともにしているわけだ。
「やめたくなる、泣きたくなる20数年でした。家族の支えがなかったら研究という仕事は続けられなかった。あらためて家族に感謝です」という山中はにこりともしない。知佳さんが「普通の父親、普通の主人です」「(マラソンを)疲れていても走ろうとするので、走っているのを見たら『ほどほどに』と声をかけて」などとにこやかにしているのと対照的だった。
山中が不器用で臨床医を断念するきっかけになった、下手くそな手術を受けたのは中高校の同級生の平田修一さんだった。普通なら15分で済む手術に1時間もかかり、途中で「ヒラ(平田さんのあだ名)すまん、すまん」といっていたという。
2人の交際についても話した。高校3年の修学旅行のときに2人でサイクリングに出かけ、集合時間に遅れたためにバレてしまった。平田さんは「知佳さんは男子に人気で、山中くんを選んだのは眼力がある」という。「大学を神戸にしたのも、大阪にいた今村さん(知佳さんの旧姓)と離れたくなかったんでしょう」
研究者となるために渡米した山中を支えたのは、知佳さんと家族だった。会見でも「家内も自分の仕事を中断して来てくれた。アメリカでは研究以外の時間ができて、子どもの成長をすぐ横で見られました。研究でいろいろあっても、 子どもの笑顔が支えだった」と、このときは目を細めた。
子どもの運動会では酒飲みながら徹夜で場所取りの「普通の父親」
司会の小倉智昭「日本だとお金の心配や雑用に追われるが、アメリカだと時間があったんでしょう」
デー ブ・スペクター(テレビプロデューサー)「夫婦の時間もあったでしょう。iPS細胞をみんな『なるほど』といってるが、だれもわかってない」(爆笑)
田中良幸レポーターが山中夫妻が結婚式で配った「プロフィール」というのを見つけて来た。お互いに「好きなところ」は「優しい」。「嫌いなところ」 は山中が「心配しすぎ」、知佳さんは「お酒を飲むと妙に陽気になるところ」とあった。
小倉「会見前に飲ませてみたいね」
田中「お子さんの運動会のとき、忙しいなかを他の保護者と一緒に酒を飲みながら徹夜で場所取りをしたとか」
笠井信輔キャスターが突然、「忙しいからこそ、こういうときしか存在感を見せられない」と割って入った。「まあ、私もそうですけどね」
小倉「会見で奥さまがユーモアをいっても、(山中は)表情が全く変わらない(大笑い)。 ノーベル賞だからね」
たしかに山中は「iPS細胞 が本当の意味でノーベル賞にふさわしい仕事であったと思ってもらえるように頑張りたい」「世界の難病の方にメイドインジャパンの薬を届けたい」と真面目一方だった。
その薬の開発はすでに動き出してもいた。バリバリの現役が受賞したというのが心強い。