スラリと伸びた背丈、端正な顔付き。子どものころから勉強がよくでき、スポーツや生徒会活動にも積極的だった。きのう8日(2012年10月)、今年のノーベル医学生理学賞に決まった京都大学の山中伸弥教授(50)は、絵にかいたような秀才コースを歩んできたように見えるが、これまでの道のりは決して平たんではなかった。
20分で終わる手術に2時間もかかった「下手クソじゃまなか」
山中の講演やスピーチにはいつも登場するそうだが、「じゃまなか」の話は和ませる。柔道やラグビーで骨折を繰り返し、ケガをした人の助けになりたいという思いや父親の勧めもあって医学部に進み、晴れて整形外科医になるが、肝心の手術が苦手、いや下手だった。腕のいい医師だと20分で終わるところが2時間もかかった。それで、先輩から「じゃまになるから、山中ではなく、じゃまなか」と呼ばれた。
こうしたこともあって、臨床医を断念して基礎研究に進む。アメリカに留学しiPS細胞につながるES細胞の研究に取り組み帰国するが、アメリカの研究環境とは違い、マウスの世話もしなければならない毎日で、ふさぎ込むこともあったという。だが、「すごく誠実で謙虚で目標を決めたらそれに突き進む」(中学・高校の同級生の芳武努さん)という性格で挫折を乗り越えた。
この芳武さんともうひとりの同級生、平田修一さんと受賞の決まる5日目前に一緒に飲んだ。たわいのない話に終始したが、平田さんによると、ノーベル賞については「本人は今年はないよ、といってました。気負っている様子はありませんでした」。その平田さんが受賞を聞いて、「やったな、おめでとう」とメールを送ると、さっそく8日18時59分に「平修、ありがとう!」と返事が返ってきた。記者会見や何やらで忙しい最中、「まさか、きょう返ってくるとは」と本人も驚いていた。