iPS細胞を作り出すことに成功した京都大学の山中伸弥教授(50)が日本で25年ぶりとなるノーベル医学生理学賞を受賞した。「朝ズバッ!」司会のみのもんたが「久しぶりに明るい、でっかいニュースが飛び込んできました」とはしゃぐ。
かつての同僚「彼は手術のセンスはいまひとつだった」
iPS細胞はヒトの皮膚細胞から作り、骨や心臓など体にある200種類もの細胞になる「万能細胞」の一つだ。傷を負った臓器を置き換える再生医療の実現や難病の原因解明、新薬開発に道を開くものとして世界中から注目されていた。授賞の理由について、ノーベル委員会は「医学の多くの分野で著しい進歩に繋がった」「革命をもたらした」と最大級の評価をしている。
知らせを聞いて山中は記者会見でこう語った。「日の丸の支援がなければ受賞できなかったということを心の底から思いました。感想をひと言で表すと、感謝という言葉しかありません。80歳を超えた母に報告できたことが本当によかった」
医学界に革命をもたらした山中は若い頃から型破りだった。学究肌には珍しく、高校時代は柔道、神戸大医学部時代はラグビーに打ち込み、「全部で10回以上骨折しています」(山中教授)という。その骨折が縁で整形外科医に興味を持った。ただ、大学を卒業して研修医になりたてのころ、わずか10分で終わる簡単な手術が1時間以上たっても終わらない。先輩がつけたあだ名が手術の邪魔ばかりする「ジャマナカ」だった。
10年間勤めていた病院で同僚だった島田永和・島田病院理事長は、「センスというか、手術する感覚がいまひとつなんです。しかし、誠実で一つの目標を決めたら一生懸命だった。冗談が好きで皆に好かれていた」と話す。
整形外科医が手術ベタでは困る。そこで転身を考えた。大阪市立大大学院で薬理学を学び、さらに米グラッドストーン研究所に留学し、そこで始めたES細胞(胚性幹細胞)の研究がiPS細胞の成果に繋がった。
奥さんは皮膚科医、二人の娘も医大在学
こんな茶目っ気もある。iPSはinduced Pluripotent Stem cell(人為的に多能性を持たせた幹細胞)の頭文字を取ったものだが、最初のiがなぜ小文字なのか。iPodにあやかって広く世界に普及させようと、山中がわざと小文字にしたのだという。マラソン好きで研究費の寄付を求めて走った今年の京都マラソンのタイムは4時間3分19秒だった。
中・高時代の同級生だった奥さんも皮膚科医、娘2人も現在、医大に在学中という。
「一日も早く本当の意味の社会貢献、医学応用を実現させたい。それが私の仕事です」。受賞決定会見で最後に語った言葉はやはり誠実そのものだった。