富山の刑務所で指導技官として働いていた倉島英二(高倉健)に、亡き妻である洋子(田中裕子)から手紙が届いた。それは洋子の故郷である長崎の海に散骨をして欲しいという願いであった。生前、自分が退職したら妻と日本中を旅しようと約束をしていた英二は、妻と乗るはずだった乗用車を改造した自家製のキャンピングカーで北陸から九州へと向かう。
ズシズシ上がり込んでいくビートたけしとの共演に見応え
高倉健は監督の降旗康夫とは20本目の共作で、出演としては250本目というから驚く。『単騎、千里を走る』以来6年ぶりの主演で、この作品も前作同様ロードムービーだが、違いは「旅」の目的がより鮮明であることと、高倉健以外では成立しないという点だ。旅先でさまざまな人々と英二は出会うのだが、それは高倉健と多彩な役者がからんでいくおもしろさに繋がる。佐藤浩市、草彅剛、綾瀬はるか、余貴美子、大滝秀治、浅野忠信などとのからみは見応え十分だ。個性豊かな豪華俳優人の中で、より特殊な個性を醸し出したのは杉野という元教師を名乗る男を演じたビートたけしである。
高倉健は周知の通り、日本映画界が生み出した絶対的な俳優である。引きの画でこれほど存在感を出せる「スター」はいない。高倉健とビートたけしを役者として比べるのは野暮であるが、ビートたけしも「巧さ」や技量では語れないアンタッチャブルな領域に存在する役者であろう。他の役者は高倉にどこか譲るような遠慮が見える気がするが、ビートたけしは役者として譲るという感覚は持ち合わせていない。高倉健という不可侵な領域にズシズシと上がりこんでいく姿が、ギリギリのバランスを保ちながら成立していくのは、彼の天性の人なつっこさと怪しさの賜物であろう。全く個性が違うが、共通点があるこの2人の「共演」はやはり見ものである。
この映画が高倉健以外で成立しない理由は、印象的に撮られている散骨シーンに顕著に現われている。昭和6年に生まれ、激動の時代を生き、義理堅く人情にあつい民衆に愛される昭和の最後のスターが、海という生命が誕生した場所に命を返す――この映画は日本に生きた人々への鎮魂歌なのだ。
河端隆輔
おススメ度☆☆☆☆☆