松下金融相「死なねばならなかった事情」次の選挙で落選必至!タダの人になるのが怖かった

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女性スキャンダルでもめげなかった中川秀直、山崎拓の執念

   政治家の女性スキャンダルですぐに思い出すのは、宇野宗佑、中川秀直、山崎拓であろう。宇野はスキャンダルもあって、あっという間に総理の座から滑り落ちた。なかでも愛人に衝撃的な告白をされたのは山拓であろう。そのうえ、愛人が外国特派員協会で記者会見まで開いてしまったのだ。将来の首相候補だった山拓は落選し、その後も出馬するが当選する可能性はほとんどなくなった。だが、私が彼の元愛人にインタビューのため博多へ行ったとき、彼女は「まだやる気満々ですよ、あの人」と笑って話してくれた。

   宇野、中川、山崎は自殺せず、中川は衆院議員としていまだに永田町で大きな顔をして生き延びている。彼らと松下金融担当相を分けたのは何だったのか。時任の模泰吉弁護士がいっているように、「松下氏の女性の扱い方がヘタだったと言われても仕方ない」ところはある。セックスのテクニックやテレホンセックスのことをバラされ、晩節を汚されたと思ったのかもしれないが、「その歳でようがんばってはる」という見方もあるのではないか。

   私は自殺の動機は政治家という職業にあると思う。かつての自民党実力者・大野伴睦は「猿は木から落ちても猿だが政治家は選挙に落ちればタダの人だ」といった。総選挙は間近であるが、落ち目の民主党と手を組んでいる松下が所属する国民新党も苦戦が予想されている。ましてやこのスキャンダルが出て、当選する見込みはほとんどなくなった。

   中川、山拓にはもう1度永田町に戻るという強い意欲があったが、松下にはもともとそれが弱かった。このスキャンダルが明るみに出てしまうことで、生きる意欲まで失ってしまったのではないか。政治家には不向きな人だった思う。タダの人に戻るのが怖かったのではないか。週刊誌の記事が引き金になって起きた悲劇は、週刊誌の現場や私のようなOBにまで重い問題を突き付けた。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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