松下金融相「死なねばならなかった事情」次の選挙で落選必至!タダの人になるのが怖かった

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「結局、私は都合の良い女だと思われていたんです。おかねを出せとも言わないし、表舞台にも出ようともせず、陰で支えてくれるし、他の男に目移りしないくらいに自分に惚れていてくれる…。私自身、女は男の後ろをついていくのが当然だと思っていたんですよ。でも、いまはそのことにあぐらをかいてきた松下さんが許せないんです。今頃になって、『私は貴女をズッと好いていました。惚れていました。愛している』なんてメールを送ってきますが、私の思いに真摯に向き合っているとは到底思えません。どうにか時間稼ぎをして、逃げようとしているのがミエミエです。たかが女一人のために大臣の座を降ろされたらたまったもんじゃないと思っているんでしょうね」

   これは「週刊新潮」が掲載した松下忠洋金融担当相(73)の長年の愛人だった時任玲子(70)の告白である。この記事が出ることを知った松下金融担当相は、9月10日(2012年)に自室で首つり自殺してしまった。報道によれば、室内から「密葬にしてくれ」などとする首相、閣僚、妻あて計3通の遺書が見つかったそうである。これまでも週刊誌には数多の男女のスキャンダルが掲載されたが、自殺者を出すというケースは稀である。

   彼が死を選ばなくてはならないほどの内容が新潮に書かれていたということか? 読んでみよう。愛人だった時任が松下と初めて会ったのは1991年1月のことだった。彼女は鹿児島の高校を出て水商売に入り、神戸の大型キャバレーでトップになって80年に自分のラウンジバーを始めた。そこへ当時は建設省砂防課長だった松下が二人の共通の知り合いに連れてこられ、同郷ということで意気投合する。当時の彼女と現在の写真2葉が載っているが、新潮の書いているように加賀まりこ似の美人である。

   二人は10月に「東京で出会った時、ホテルで男女の仲になりました」(時任)。 松下に妻子がいたとしても、ここまではよくある男女関係に過ぎない。だが、続いてそのころ彼が彼女に出した手紙の全文が載っている。

「玲さま いつもこまやかな心のこもったお便りありがとう いつも3回ほど、繰り返し読んでいます。
   そして、初めて肌を重ねた熱いニューオータニの朝のベットを胸キュンで思い出しています。そして加納町のオリエンタルホテルで朝まで過ごしたダブル(×)シングルベッド、いつの間にかおなかを出して、スキだらけで眠ってしまっている玲子姫の白い肌をドキドキして思い出しています」

   失神してしまっている彼女の大切なところにキスしていたことなども書き連ねている。

   その後、建設族のドンといわれた金丸信元副総裁のバックアップで93年の衆院選に自民党候補として出馬し初当選する。二人の不倫関係はその後も続く。時任は彼とのSEXをこう語っている。

「松下さんのエッチは品がなく、乱暴でした。自分本位ですごく慌ただしいんです。体位をコロコロ変えるし、動きが素早かったですね。手で激しく責めてくるんです。(中略)
   部屋を出る際に、松下さんは『お化粧代』としてお金を渡してくれました。だいたい5万円から10万円、多くて30万円でした」

   二人の逢瀬は年に2、3度しかなかったそうだ。

経済産業副大臣時代はテレフォンセックス「私に触る場所を優しく指示してくれました」

   松下は1度落選するも、09年に国民新党から立候補して政界復帰を果たし、鳩山内閣で経済産業副大臣になる。その年、彼女は神戸のラウンジを閉めて鹿児島に戻り家を建てる。そのころから松下がテレホンセックスを求めるようになったと彼女は語っている。

「松下さんから『電話をちょうだい』というメールが入ると、それが合図になって、しました。だいたい朝4時から5時が多かったですね。(中略)松下さんは電話でエッチをする時はすごく優しくなるんです。口数もいつもより増えますし、何か慣れている様子で、私に対して触る場所を優しく指示してくれました」

   続いて彼が彼女に送ったメールを2通載せている。一つにはこうある。「早く一つに繋がりたいです。いろいろ貴女を探検したいです」

   だが、だんだん松下からの連絡がなくなり、地元へ帰って来たときも翌日の新聞やテレビで知ることが多くなった。そして昨年3月11日の東日本大震災が起きて、松下は原発現地対策部長として福島に入り多忙を極める。だが、3月30日未明に「電話を下さい」というメールが彼から届く。彼女は鹿児島に来たのに知らせてくれなかったのはなぜかと問い質すが、一方的に電話を切られてしまう。

   縁あって好きになった二人なのに、別れ話もしないまま自然消滅みたいなやり方をする彼のことが許せないと彼女は弁護士を通じて手紙を出す。しかし、彼の対応は不誠実だと感じた彼女は、何度かやり取りの末、今年5月に彼と対面する。だが、高い金を要求するのはおかしいと難じたり、これまで「化粧代」として払っているじゃないかといい募り、最後に80万円入りの封筒を差し出したそうだ。彼女と会った9日後に、彼は金融・郵政民営化担当大臣に就任する。

   松下金融担当相は新潮の取材を受けてこう語っている。「私が彼女を無視するようになったと言っているようですが、それは全く違う。福島に打ち込んでいて、全く外界との関係がなくなってしまい、彼女ともそうなってしまった」

   男女の関係だったことも認め、いまでも愛していると話している。これを読む限り誠実そうな人柄のようである。前立腺がんを発症していたそうだが、治療を受けており命には別状なかったそうだから、自殺の動機ではないようだ。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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