松下忠洋金融・郵政民営化相(73)が10日午後(2012年9月)、東京・江東区の自宅マンションで首をつって亡くなっていた。先週末から地元の鹿児島県薩摩川内市に帰り元気な様子だったというのに、どんな悩みを抱えていたのか。
夫人や野田首相あての遺書3通
午後5時ごろ外出先から帰宅した夫人が、カギを開けて部屋に入ったところ首を吊っているのを発見した。この時すでに意識はなかったという。金融庁によると、午後の公務の時間になっても姿を見せず、気になった秘書が電話したが応答がなかったという。部屋には、夫人や野田首相あての遺書3通が残されており、警視庁は自殺の可能性が高いとみている。
松下金融相は京大卒後、建設省に入省。93年の衆院選に自民党公認(鹿児島2区)で初当選し、03年までに4選を果たしたが、05年の衆院選では郵政民営化に反対して落選した。09年の衆院選で国民新党公認(鹿児島3区)で返り咲いた。今年6月の内閣改造で閣僚になり喜んでいたのに、わずか3か月で自ら命を絶った。
先週金曜日の7日には、国会閉会で野田首相と笑顔で握手し、その日の夜、地元の薩摩川内市入りして岩切秀雄市長の事務所開きに出席している。岩切市長によると、「ものすごく元気で、『以前の顔と違うでしょ。髪を染め若くなった』と言い、皆を喜ばせていました」という。9日には東京に戻っていた。
頑張りますという態度と内面とのギャップ
前立腺がんを患っていたが、これも完治していた。気になるのは、「週刊新潮」がプライベート上の問題を取材し今週発売号に掲載するという記事だ。昔の愛人の告白ものだが、70歳を過ぎた男が自殺するほどの内容とも思えない。
コメンテーターの香山リカが精神科医らしいこんな分析をした。「この方は責任感もあり、苦悩を周りに見せないよう頑張りますという態度を表していたと思う。そんな内面的な辛い気持とのギャップの中でふと一人になる時間があって、魔がさしたのかも…」