9・11の同時多発テロから間もなく11年になる。アルカイダを追って、米軍は直後にアフガニスタンに侵攻し、タリバンとアルカイダを駆逐し、カルザイ政権を誕生させたが、戦闘はいまも続く。アメリカにとっても史上最も長い戦闘になった。
オバマ大統領は2014年末までに全戦闘部隊の撤退を決めている。その後のアフガンはどうなるのか。アメリカはすでに2010年、秘密裏にタリバンとの接触に踏み切っていた。
捕虜交換要求に米議会反発―選挙終わるまで動けないオバマ大統領
秘密協議はカタールのドーハで行なわれていた。先月(2012年8月)、NHK取材班はタリバン側の交渉団と接触した。現れたのは2人。ラスール氏は宗教指導者で交渉方針を決める。シャヒーン氏は元外交官。堂々と顔もさらした。タリバン交渉団とのインタビューは世界初だ。
ラスールは「われわれは平和を望んでいる。祖国の再建と発展に関わっていきたい」と話す。協議が動いたのは昨年5月、ビンラディンが殺害された直後だった。米政府のアフガニスタン・パキスタン特別代表グロスマン氏が「ビンラディンはもういない。平和の話し合いを進めよう」とアルカイダとの決別を迫った。
ラスールは「アメリカは積極的で友好的だった」という。しかし、信用できるかどうか。タリバンは2つの条件を出した。ドーハに拠点を設けること、 捕虜の交換である。捕虜には米政府職員殺害容疑者など幹部5人を含む。「信頼をはかる物差しだった」とシャヒーンはいう。
今年1月初め、タリバンは協議の事実を公表した。米上院は捕虜交換に難色を示す。米側は1月下旬、アルカイダとの決別とカルザイ政権との交渉を求めた。シャヒーンは「事態を後退させる話だった」という。結局、3月にタリバンは交渉中断を告げ、以来、事態は進んでいない。ただし双方とも決裂ではなく「中断」としている。
ワシントンの樺沢一朗記者は「誤算のひとつは米国内の反発が予想以上だったことです。オバマ大統領もこのリスクを犯せなかった。大統領選挙で再選されれば動くだろう」という。米国内の関心は低いが、米軍撤退後に再び混乱が起これば元の木阿弥だ。それだけは何としても避けたい。
秘密協議からはずされたカルザイ政権も反発した。アフガニスタン政府はタリバン兵に360ドル(平均収入の半年分)の社会復帰資金を与えて投降を呼びかけており、すでに5000人が投降した。これもあって、タリバンはカルザイ政権との話し合いを拒否している。