薮田亜矢子さん(40)は9年前、糖尿病と診断され食事療法を指示された。当時の体重は85キロ、血糖値の指標HbA1cは7.6(正常値は6.2未満)だった。カロリー制限療法は食材と量を細かく計算する必要があり、食事作りに時間がかかる。精神的にもつらく2か月で断念した。
その後症状は悪化し、ついに昨年(2011年)、網膜出血を起こして失明寸前になった。医師の勧めで別の食事療法を始めた。すると1か月で体重は64キロに、HbA1cは5.4と正常値になった。「信じられない」。これが糖質制限食だった。
コメ、小麦、砂糖を避け、肉、魚、卵などは好きなだけ
血液中の糖質の量(血糖値)はすい臓が出すインスリンがコントロールしている。このコントロールが利かなくなった状態が糖尿病だ。治療は3段階で、まず食事療法(カロリー制限)、次いで薬の使用、最後がインスリン注射だ。糖質制限はこの常識に風穴を開けるものだった。
血糖値はコメ、小麦、砂糖で急激に上がる。この糖質だけを制限する。肉や魚、卵などのタンパク質や脂質は好きなだけ食べられる。北里研究所病院では3年前からの臨床実験で効果をあげている。「カロリー制限食ができなかった人のためのオプション」という位置づけだ。
食事の糖質を減らすと体が必要とする糖質(エネルギー)はタンパク質や脂肪から補うようになるが、急激な糖質カットでバランスが崩れると、筋力や視力にも影響が出る。現に、自己流でこれを試みて失敗した男性がいた。日本糖尿病学会理事の清野裕医師は、「薮田さんは、肥満だったことで糖質を脂肪の燃焼とタンパク質から補った、代謝がうまくいった例だ」という。一方、失敗した男性は太っておらず、タンパク質も不十分で、筋肉の分解を招いたのだという。
金沢大ではいま、どこまで糖質を減らせるか、長続きして有効で安全な限度はどれくらいかを研究中だ。療法とするには、だれにも安全でなければならない。糖尿病患者の4割は腎臓に障害をもっており、タンパク質過多は負担が大きくなる。限度の見極めは大きな課題だという。
早めのインスリン注射や胃バイパス手術ですい臓機能回復
最後の手段とされてきたインスリンの投与も見直されている。熊本大病院に入院した男性は、すい臓機能の低下で血糖値が正常の3倍もあった。ここではいきなりインスリンの投与を行なった。これで一時的に血糖値が下がると、負担の減ったすい臓がインスリンを出す能力が高める。男性は2週間後、300あっ た血糖値が139まで下がった。すい臓が再び血糖の管理を始め、注射の必要はなくなった。最後の手段だとすい臓が弱り切っていて、効果は少なという。
アメリカでは糖尿病治療に外科手術が登場していた。ニューヨークに住む58歳の女性は食事制限も薬も効果がなかったのが、昨年受けた手術のあと血糖値が正常になり、「どんどん健康になっている」と話す。「胃バイパス」といって、胃や小腸の一部を切り取る手術だ。もとは重度肥満者の食事の吸収を抑える減量が目的だったが、小腸の特殊な細胞が出すホルモンがすい臓のインスリン量に作用するとわかったのだという。
手術患者の8割が正常血糖値になり、医師は「5年以内に普通の手術になる」と話している。 これには清野医師も「私も驚いた。ただ、日本人はアメリカ人のような極端な肥満は少ないですから、検証が必要でしょうね」という。
糖尿病患者は予備軍を含めると2200万人というから驚く。友人にもいるが、気の毒に食事制限あって一緒に外食ができない。レストランのメニューに「糖質制限食」が乗ったらどんなにいいか。レシピが病院を出てくる日が来ることを祈ろう。
ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2012年8月30日放送「糖尿病の『常識』が変わる」)