金正恩と会食した藤本健二「北の回し者」か拉致問題で少しは役に立つのか

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「私は席を立ち、正恩王子に向かって言いました。『私は感激のあまり酔っぱらってしまうと思い、本日、正恩王子に申し上げたかったことを、手紙にしたためて参りました。通訳のさくらさん(パク・チュンイン)にハングルで代読してもらいたく思います』
   正恩王子が肯くと、私の右隣の席についていたさくらさんが立ち上がって、5枚の紙を広げました。(中略)
   私は敢えて、『拉致問題』という表現は使わず、『横田めぐみさんたちの問題』と書きました。『拉致』という言葉は、北朝鮮の幹部たちのプライドを強く傷つけるのでタブーです。
   私は日本の政治家でも外交官でもありませんが、金正日将軍一家のお側に計8年間も仕え、正恩王子とも、子供時代から一緒に遊んで来ました。だから正恩王子が、日本人の中で誰よりも耳を傾けてくれるのが私の言葉であるという自負があります。そこで私は、正恩王子と再会できるこのチャンスに、拉致問題を早く解決し、日本と国交を結んでほしいとお願いしたのです。
   さくらさんがこの文章を一語一語代読する間、正恩王子は、黙って肯きながら聞いていました。しかし私は、正恩王子がすぐに行動を取ることを確信しました。(中略)
   横田めぐみさんに関しては、私は生きている可能性が十分あると思っています。
   横田さんは、拉致被害者の中で大変優秀だったため、金正日ファミリーの日本語教師を務めていたのではなかったかと、私は推測しています。ある意味、私以上に金ファミリーの内部事情を知悉していたため、'02年の小泉首相の訪朝の際に、返せなかったのではないでしょうか」

   これは「週刊現代」の「世界的スクープ! 金正恩『単独会見』4時間」の中で、藤本健二(66)が語っている内容の一部である。藤本は1982年に北朝鮮に渡って寿司職人となり、その後「金正日ファミリーの専属料理人」を務めた後、日本へ戻った人物である。彼には1989年に金正日将軍の仲人で結婚した、20歳年下の元有名歌手の妻と間もなく成人する娘が北にいる。だが、日本に戻ってから、日本のメディアなどに金正日ファミリーのプライバシーを話してしまった以上、妻子とは会えないと思っていたそうだ。

   ところが北から接触があり、金正恩第一書記に会わないかといわれた。躊躇していたが、金正恩が自筆の手紙をよこし、ようやく決断した。彼はまだ幼かった金正恩とよく遊んであげたから、金正恩が是非会いたいというのである。

北朝鮮の日本政府向けメッセージの可能性

    藤本は7月21日(2012年)から8月3日まで平壌に滞在した。11年ぶりに見る平壌は「見違えるようでした。人々の表情は明るいし、ファッションはオシャレになっているし、携帯電話をかけたりしている」(藤本)

   通称「8番宴会場」と呼ばれる場所で金正恩第一書記と会った。彼は李雪主夫人を従えて待っていた。我を忘れて走り寄り、金正恩に抱擁したとき、涙が止めどなく流れたという。その時の様子が連続写真で撮られ掲載されている。叔父で金正恩の信頼を得ているといわれる張成沢党行政部長とも親しく挨拶した。

   歓迎の宴会は高級ボルドーワインを飲みながら行われた。藤本が持ち込んだマグロを食べ、フカヒレやアワビのご馳走が並んだ。冒頭の引用部分は、その宴席でのことである。

   彼は2000年に元山(ウオンサン)の将軍の別荘へ行ったとき、横田めぐみらしき女性とバッタリ出会ったことがあるそうだ。だとすると、横田めぐみは生きている可能性が十分にある。現在29歳の金正恩には、日本人拉致問題に関しては何ら責任がない。拉致問題を「過去の問題」として精算し、日朝国交正常化を金正恩第一書記の手で成し遂げてほしいという思いから手紙を書いたというのだ。

   記事中に彼が読んで聞かせたという日本文が掲載されている。その手紙には「敬愛する金正恩将軍、お願いです。横田めぐみさんたちを日本に帰国させてあげてください。そうしていただければ、日本との国交正常化や日本から多額の資金を引き出す道も必ず開けると思います」とある。藤本は「正恩王子が、遠からず拉致問題を解決してくれると信じています」と語っている。

   今回の彼の訪朝はTBSテレビで放映されているから、現代の独占スクープではない。当然ながら、テレビ放映、週刊誌のインタビュー、そこで金正恩に聞かせる手紙の内容は、事前に北側の全面的な了解を取っていたのは間違いない。そうだと考えると、今回のことは藤本を通じた金正恩第一書記からの日本政府へのメッセージと考えてもいいのかもしれない。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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