山本美香さん殺害!紛争地や原発被害地域からいち早く逃げ出す大手マスコミ記者
今、シリア北部アレッポで取材中に殺害された山本美香(45)さんのことを考え続けている。臆病者の私は長い編集者生活の中で、ベトナム戦争中のサイゴン(現ホーチミン市)へ一人で2週間いたのと、これも一人で26年前に北朝鮮・平壌に1か月滞在したことがあるだけである。
紛争地域へ入るだけでも覚悟がいることなのに、そこで虐げられている弱者の側に立ってカメラを回し、レポートする勇気には頭が下がる。新聞記者だった父親は、娘は私の背中を見てジャーナリストになったそうだが、「もう追い抜いた」とテレビで語っていたが、その通りであろう。それは親としての父を超えたのではない。大新聞にいたジャーナリストの父親を超えたのである。
新聞やテレビの特派員は、赴任している地域に紛争が起きれば、その地からいち早く引き上げてしまう。福島第一原発が爆発を起こした後、南相馬市や飯舘村から日本人記者がいなくなってしまったとマーティン・ファクラー「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長が『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)で書いている。そして、その後の現地報告をするのはフリーのジャーナリストたちである。紛争地域でも福島の高線量の避難区域に入ってルポしたのもフリーのジャーナリストたちであった。
2004年にイラクでジャーナリスト2人が銃撃され、2007年にミャンマーでカメラマンが射殺されている。山本さんの志や勇気を評価するのはもちろんだが、そこで終わらせてはいけないと思う。既成メディアの記者たちの勇気のなさやジャーナリスト魂の欠如が指弾されなければならないはずである。自分たちは安全なところにいて、フリーが命懸けでとってくる現場報告や映像を流すだけではジャーナリストを名乗る資格はない。
昔、カンボジアでクメール・ルージュに捕らえられ、処刑されたフリーのカメラマン一ノ瀬泰造に憧れて、戦場カメラマンを目指す若者がいた。山本美香さんのあとを追って、戦場ジャーナリストになる若者が出てくることであろう。だが、ジャーナリストは闇雲に現場へ行けばいいというものではない。行くための周到な準備や綿密な事前取材、どのように危険から自分を守るかも考えておかなくてはいけない。言葉の問題も重要である。山本さんが今回入ったシリアは、政府軍と反政府軍双方の殺りくが毎日のように行われ、紛争ではなく内戦状態に陥っている。周辺地域の思惑もあり、解決への糸口さえ見つからない最悪の地域である。
日本ではほとんど関心のないシリアだが、中国では連日シリア情勢を新聞・テレビが報道し、市民はとても詳しいと、中国への長期出張から帰ってきた友人から聞いた。石油の問題もあるのだろうが、アラブの春が自国に波及することを恐れていることも背景にあるのだろう。