戦場を駆け回るジャーナリストとして知られた山本美香さん(45)が20日(2012年8月)、シリアのアレッポ で政府軍の銃撃を受け死亡した。イラク戦争では、米軍砲撃下のバグダッドでの報道で「ボーン・上田賞特別賞」を受賞した。キャリア十分だったはずだが、一瞬のことだったらしい。
「政府軍民兵と自由シリア軍が奪い合い非常に危険な地区です」
一緒に行動していた通信社「ジャパン・プレス」(山本さんが所属)代表の佐藤和孝さん(56)の話では、10人余の迷彩服の政府軍民兵が突然撃ってきたという。現場は政府軍と反政府軍が交錯している、いわゆるグレーゾーンだった。佐藤さんらは反政府側の自由シリア軍と行動しており、「距離は30メートルくらい。予測できなかった」という。佐藤さんは無事だった。
山本さんが撮った映像には、「これから空爆を受けた場所へ向かいます」という山本さんの顔が写っており、アレッポに入った映像では「政府軍民兵と自由シリア軍が奪い合っている、非常に危険な地区だということです」と いう山本さんが語っている。そして、反政府側が封鎖線を敷き、通りを人が歩いている姿が見られる場面で、銃撃音と同時に映像が止まっていた。
封鎖線に立つ自由シリア軍の兵士も気づかない様子で、山本さんは最初の一撃で倒れたらしい。自由シリア軍は「YouTube」で「日本人女性記者が殺害された。全ての報道陣を歓迎するが、アサド政権の攻撃から守ることはできない」という声明を出した。
シリアでは昨年(2011年)チュニジアに始まった「アラブの春」の波を受け、アサド大統領の独裁批判が起こったが、政府はこれをきびしく弾圧して内戦状態に陥り、すでに2万人が死亡したといわれる。国連は監視団を派遣し、特使を出すなど調整に務めたが失敗。さきに監視団は撤退した。安保理では親シリアのロシアと中国の反対で制裁などができず、アサド政権に批判的な欧米諸国やアラブ諸国と対立している。
「戦争ジャーナリストじゃなく、ヒューマンなジャーナリストだった」(父親)
山本さんはアフガニスタン、イラクなどの戦場で、常に子どもや女性を追い続けていた。「子どもたちはいつも命の危険にさらされています。1日1日を懸命に生きています。そんな姿に人間ってたくましいなと心強くなります」と著書「戦場を取材する」で書いている。
彼女を支えてきた父の孝治さんは、「致命傷が頸部貫通だと聞いた。信じる気になれない」という。「女性や子どもたちの未来を案じて、事実を伝えるんだというのが彼女のテーマでした」「戦争ジャーナリストじゃなくて、ヒューマンなジャーナリストだった」
司会の羽鳥慎一「女性ならではの目線で家族や子どもを撮っている」
東ちづる(タレント)「声なき声を拾っていくヒューマンなジャーナリストで、尊敬するひとりだった。 生き抜いてほしかった。私たちはもっと目を向けないといけない」
アレッポの取材からトルコ領に出てきたという報道写真家の八尋伸さんは電話で、「アレッポは全体が(政府軍と反政府軍の)モザイクになっている。住民は最前線から500メートルも離れると生活しているので、砲撃、空爆の被害者はほとんど住民です。わたしも近くを砲撃された」と伝える。
青木理(ジャーナリスト)は「過去にも亡くなった方は多い。そういう人たちが伝えないと伝わらない。山本さんも報道で社会を変えられるといっていた。報道とはそういうものです」
番組では触れなかったことがひとつ。大手のメディアはいま、危険な場所での取材をこうしたジャーナリストに委ねている。いわば下請けだ。彼らもまたそれで生きているのも現実。決してきれいごとばかりではない。