山本美香さん最後の映像―通りを写していた次の瞬間、銃撃音と同時に画面停止

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「戦争ジャーナリストじゃなく、ヒューマンなジャーナリストだった」(父親)

   山本さんはアフガニスタン、イラクなどの戦場で、常に子どもや女性を追い続けていた。「子どもたちはいつも命の危険にさらされています。1日1日を懸命に生きています。そんな姿に人間ってたくましいなと心強くなります」と著書「戦場を取材する」で書いている。

   彼女を支えてきた父の孝治さんは、「致命傷が頸部貫通だと聞いた。信じる気になれない」という。「女性や子どもたちの未来を案じて、事実を伝えるんだというのが彼女のテーマでした」「戦争ジャーナリストじゃなくて、ヒューマンなジャーナリストだった」

   司会の羽鳥慎一「女性ならではの目線で家族や子どもを撮っている」

   東ちづる(タレント)「声なき声を拾っていくヒューマンなジャーナリストで、尊敬するひとりだった。 生き抜いてほしかった。私たちはもっと目を向けないといけない」

   アレッポの取材からトルコ領に出てきたという報道写真家の八尋伸さんは電話で、「アレッポは全体が(政府軍と反政府軍の)モザイクになっている。住民は最前線から500メートルも離れると生活しているので、砲撃、空爆の被害者はほとんど住民です。わたしも近くを砲撃された」と伝える。

   青木理(ジャーナリスト)は「過去にも亡くなった方は多い。そういう人たちが伝えないと伝わらない。山本さんも報道で社会を変えられるといっていた。報道とはそういうものです」

   番組では触れなかったことがひとつ。大手のメディアはいま、危険な場所での取材をこうしたジャーナリストに委ねている。いわば下請けだ。彼らもまたそれで生きているのも現実。決してきれいごとばかりではない。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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