レスリング小原日登美「悲運の女王」苦難の金メダル!2度の引退と不屈

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   ロンドン五輪レスリング女子でけさ9日(2011年8月)、日本に2つの金メダルが生まれた。ひとつは63キロ級の伊調馨(28)、もうひとつは48キロ級の小原日登美(31)だ。伊調はアテネ、北京に続く女子で初めての五輪3連覇という快挙。小原は2度の引退を乗り越え、苦難の末の初出場で射止めた金メダルだった。

吉田沙保里と妹・真喜子に挟まれやっとつかんだ11年目の五輪キップ

   世界選手権に8回出場し8回優勝しながら、小原は「悲運の女王」といわれていた。最初の悲運は20歳のときのアテネ五輪だった。女子のレスリングが正式種目に決まったが、小原の51キロ級は除外されたのだ。五輪に出場するために残された道はふたつにひとつ。55キロ級に上げるか、48キロ級に下げるか。だが、55キロ級には無敵の女王、吉田沙保里(29)、48キロ級には妹の真喜子(26)がいた。親は姉妹が同じクラスで争うことを望まなかった。悩んだ末、55キロ級を選んだが、吉田に敗れ五輪出場の夢はかなわなかった。

   失意の果て、レスリングはもうやりたくないと、青森県八戸市の実家に戻り引きこもった。体重も20キロ以上増えた。だが、母校の八戸工大一高で後輩たちがレスリングの練習に励む姿を見て闘志を取り戻し、自衛隊に入隊して五輪を目指す。しかし、この時もまた吉田に敗れて北京には行けなかった。

決勝も逆転優勝!マットに座り込み泣きじゃくり

   2008年に引退を決意して妹のコーチを引き受けたが、妹は世界選手権で惨敗してしまう。その妹から意外にも「自分はもう無理なので、私の分までやってくれ」と告げられた。三たび五輪をめざす。10年には1年後輩の康司(30)と結婚、一緒にトレーニングに取り組み、翌年の全日本選手権で優勝して掴んだ五輪の切符だった。

   決勝戦は先手を取られたが、最後に逆転した。勝った小原はマットに座って泣きじゃくり、スタンドの応援団の歓声にも涙が止まらない。テレビカメラを向けられると「本当に信じられないです。私一人の力では金メダルは取れなかった」と泣き顔で語った。

   司会の笠井信輔アナも目を潤ませ、「よくここまでやったよね。本当にそう思う」と、こちらも泣き声を堪えながら言うのが精いっぱいだった。

文   一ツ石| 似顔絵 池田マコト
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