「水俣病」救済申請7月で締め切り…厚労省「60年間前に食べた魚の証明書出せ」

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   最後の救済策といわれる水俣病患者救済の申請期限が7月末で締め切られる。ところが、最後といわれながら救済の対象から外され、門前払いで見捨てられようとしている人たちがいる。

   水俣病を見つめ続けてきた作家・石牟礼道子はそれらの人たちの声を代弁し、国谷裕子キャスターのインタビューにこう訴えている。

「最低の希望はわかり合い、努力することでしょうね。わかり合えないことが一番切ないですよ」

   国は納得されないまま救済にピリオドを打とうとしているが、将来に禍根を残したままでいいのか。強い疑問が残る。

症状あっても認定されない未認定患者1万人

   旧暦7月、暗夜の海上に多くの火が現れるという不知火の海、八代海。その幻想的な海がチッソの垂れ流した有機水銀により苦界の海に化けたのは半世紀以上も前だ。今は有機水銀を含むヘドロは埋め立てられ、獲れた魚も食べられるようになったというが、水俣病患者がなくなったわけではない。これまで熊本、鹿児島両県で正式に水俣病患者と認定された人はわずか2273人に過ぎない。

   被害拡大を防止できなかった責任が裁判で問われてきたにもかかわらず、国も県も徹底した環境調査や健康被害調査を1度も行ってこなかった。その結果、厳しい認定条件に外され、症状があるにもかかわらず認定されない未認定患者が救済を求め裁判や交渉を繰り返し、何らかの救済を受けられた未認定患者は公式認定患者の5倍、1万人余りに及ぶ。

   そんななかで3年前、国と熊本県の責任が最高裁の判決で厳しく指弾されたのを受けて国は特別措置法を制定し、最後の救済策といわれる施策を打ち出した。その救済策の申請が7月(2012年)に締め切られる。

   これまで申請した人は5万5000人超で、埋もれていた患者がいかに多いかを感じさせられるが、その最後の救済策にすら当てはまらない人が相当数存在するという。救済対象に厳しい枠を設けたからである。地域限定と年齢による線引きがそれで、納得できる根拠としては実に大雑把過ぎる。

   国が対象地域として限定したのは、過去厳しい条件下で認定患者が多発した地域で、認定患者が出ていない地域は外された。対象地域外で暮らしている人が申請する場合は、「汚染された魚を多く食べていたかどうか(の証明)が必要だと思っており、提出診断書の記載いかんにかかわらず非該当の形になる」(県水俣病保険課の田中義人課長)といいう。

有機水銀を含むヘドロ処理終わったのは平成2年

   水俣市の対岸に位置する天草で、医師団と被害者団体がこの6月に大規模な検診を行った。集まった約600人のうち9割に手足がこわばったり、ふるえや耳鳴りに悩まされる水俣病特有の症状が認められたという。これらの人たちに過去に食べた魚をどう証明しろというのか。症状で判断する以外に方法はないのだが、厚労省の担当者はこの検診結果を「主観的な診断」だからと一顧だにしない。ならば国が自ら徹底的な健康被害調査をしたらどうかと言いたくなる。

   国はチッソが昭和43年に工場廃水を止め、その後の調査から水俣病の発症する可能性はなくなったと判断して、昭和44年12月以降に生まれた人は症状があっても救済対象から外している。ところが、熊本大の研究班が昭和48年に魚介類の調査をしたところ、高濃度の有機水銀が検出された。44年以降も海底には有機水銀を含むヘドロが残されたままで、ヘドロの処理が終わったのは22年後の平成2年になったからだ。

福島原発事故にも共通する被害者置き去り

   水俣で育ち、公式認定前から水俣病を見つめ続けてきた作家の石牟礼道子さんは怒る。「魚を食べたという証明を出せという。出さないと救済の対象にはならないという。この特措法の条文を作った役人は50~60年前に食べた魚の証明書を持っているのですか。

   手落ちを隠すというか、正当化する手段だと思いますね。人間性の善なるもの、徳義、精神的な成長を国民とともに遂げることをやってこなかったんですね」

   こうした国のお粗末な対応は、福島第1原発事故で高濃度の放射線を浴びた避難住民の将来とも共通してくる。仮に10年後、20年後に甲状腺ガンなど何らかの症状が出た場合、同じようなプロセス繰り返さないという保証はない。

モンブラン

NHKクローズアップ現代(2012年7月25日放送「水俣病『真の救済』はあるのか ~石牟礼道子が語る~」

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