毎週金曜日、首相官邸をとりまくデモがもう4か月も続いている。集まる人たちはサラリーマン、子ども連れの主婦、お年寄り、学生…と実に雑多だ。訴えるのは「原発再稼働反対」「原発ゼロ」だが、思いは人それぞれだ。
はじめは300人ほどだった。大飯原発再稼働を進める野田首相への抗議だ。6月8日(2012年)に首相が再稼働を決めると、翌週の15日には1万人になった。以来、参加者は増え続け、主催者発表でいま10万人超。デモは大阪、名古屋、北海道など全国に及ぶ。これは社会の何を映しているのか。
子連れ主婦「政治が機能していない。でも、しょうがないよねえとはなれない」
服部至道さんは都内のイベント企画会社の社員だ。仕事のノウハウを生かして、100人のスタッフを率いてデモの動きを仕切っている。きっかけは福島原発事故のあと、自宅周辺で高い放射線量が検出されたことだった。「こんなに集まるとは思わなかった。怒りが伝わったんでしょうね」
ツイッターを使って呼びかけると、集まった人たちがまた感想や写真を発信する。デモとは無縁だった子ども連れまでが来る。服部さんは安全な「ファミリーエリア」を確保したり、警察とも連携しながら人が1か所に集中しないよう、衝突が起こらないよう気を配る。
若い女性は「昔のデモの重々しい感じではなくて、これなら自分でも行けるなと」と思ったという。福島から来た親子連れがいた。国会議事堂脇でネコジャラシを摘んだ。「福島では汚染されているので、おみやげに持って帰る」という。「福島が見捨てられちゃったのかという感じがして苦しかったので、ここへ来て勇気をいただきたいと思いました」
主婦の武藤奈月さんは原発事故以後、「政治が機能していない」と感じ無関心でいられなくなった。放射能について政府に意見をいうシステムに発信したが、手応えがない。そこへ学生時代の友人からデモについてのツイッターがあった。「子ども連れでも安心」というので、3歳の息子を連れてきた。「自分でもよくわからないんですけど、しょうがないよねえとはなれない。これが一番大きい」。デモの中で近所の知り合いにも出会った。その知り合いは「ひとり一人が声をあげるのが大事だ」という。
「これまで声を上げなかった自分たちの責任」77歳安保世代
77歳の鈴木さん(仮名)はツイッターにも無縁の年金暮らしだ。「若い人や子連れの母親が来ているんだ。来ないと申しわけないでしょう」という。これまで声を上げなかった自分たちの責任も感じるという。安保世代である。「(当時のデモは)危険だった。あれでは長続きしない」
大学1年生の松田拓也さんは「ナマで見てみたい」と友人とやってきた。反原発もよくわからなかったが、同世代が声を上げているのを見て、それまでの無関心を恥じたという。
写真を撮っている女性がいた。激動のアジアを撮った大石芳野さんだ。撮りながら声をかけていた。「行かなければと思ったから来たと、あの真剣さはいままでなかった。だれかがやってくれると思っていたのが、自分がと思ったのだから真剣です」
映画監督の森達也氏はいう。「かつてのデモは集団だった。このデモはモチベーションが違う。イデオロギーがない。意見を共有したいというのは価値がある。日本ではなかったことだ」「1、2か月で終わるだろうと思っていたが、4か月というのは本物ですよ。デモの効果より、意識をもったことで社会は変わりますよ」
森氏は原発が爆発したことで、お上まかせだった現実に気づいたとも話す。そうだ、もし政府が巧みに対処していたら気づかなかったかもしれない。政治の混乱もまたいい教材になったとは、喜ぶべきか悲しむべきか。
ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2012年7月26日放送「デモは社会を変えるか ~声をあげはじめた市民たち~」