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橋下大阪市長の浮気にペナルティ妻・典子さん「別嬪で頭良くて太っ腹」の同棲時代

   先週、文春がスクープした橋下徹大阪市長の下半身スキャンダルは大きな話題になった。橋下もこれにはかなり堪えたようで、2度目の会見でも、妻に謝り続けていると語っていたが、文春は橋下が怖がる妻・典子夫人とはどんな女性なのかを「検証」している。2人は大阪府立北野高校の同級生で、橋下はラグビー部、彼女はテニス部だった。

   「典子さんは明るくて面白くて、男女を問わず人気者でした。その場にいるだけで場の雰囲気が明るくなるんです。(中略)学業も優秀で、神戸女学院に現役で進学。お世辞抜きにスーパーウーマンでした」(同級生)

   彼女は橋下の親友の彼女だったが、別れた後に橋下と付き合い出す。典子が大学2年、橋下が一浪して早稲田大学1年の時で、遠距離恋愛だった。

   典子の父親は大手総合商社の元幹部で、仕事の関係で幼稚園年長から小学5年までアメリカにいたため、英語はベラベラだという。やがて彼女は早稲田界隈の古びた下宿で、橋下と半同棲生活にはいる。風呂もトイレもない6畳一間の「神田川」の世界だった。だが彼女はよほど優秀だったのだろう、東京との往復が続く中で留年することなく大学を卒業する。

   一方の橋下は留年し、司法試験に挑戦するが、合格するのは早大卒業後の1994年秋のこと。彼女は早稲田界隈の本屋でバイトをしては生活費を稼いで橋下を助ける。司法試験に合格し、研修2年目に長女が生まれ、正式に結婚する。以来、「家事も育児もやりません」という橋下の傍らで7人の子育てをし、選挙の際にはポスター貼りのお願いをするなど、内助の功を発揮してきた。

   典子夫人の顔写真が載っている。7人の子供を産んだとは思えないべっぴんさんである。橋下が意気消沈して記者会見に臨んでいたころ、典子夫人はマンション近くの行きつけの中華料理屋で、姑と子供4人を連れて食事をしていたという。その表情はいつもと変わらなかったそうだ。性根の座った糟糠の妻の前で、橋下市長は何といって頭を下げているのだろうか。見てみたいものだ。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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