吉田秀和 日本人を叱り続けた「時代の良心」目を開き自分の言葉で考えろ

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   享年99。歯に衣を着せぬ評論で多くのクラシックファンを魅了してきた音楽評論家・吉田秀和氏が、今年5月(2012年)に亡くなった。小澤征爾や中村紘子などの日本を代表する世界的音楽家を育てた音楽評論界の重鎮だった。

   小澤は「吉田さんには今でも頭が上がらない。多くのことを教えてくれた大恩人です」という。キャスターの国谷裕子は「吉田さんは目に見えない音を文字で表現するという独自の世界を切り開きました。その背景には、人の目から離れるなという思いがあったと思われます」と吉田ワールドを語った。

大演奏家ホロヴィッツも「ひびの入った骨董品」と一刀両断

   吉田の住居が登場した。部屋には最新オーディオ機器は一つもない。流行には流されないという思いが強かったからだ。

   国谷「お母さんはピアノが趣味だったので、吉田さんも見よう見まねでピアノを始めました。でも、自分の限界を知り、戦時下では当時の内閣情報局の職員となりました。ところが、情報統制下に置かれていたので、伝えるべき情報も伝えられない。がまんを重ね、いつか情報を自由に発信できる時代が来たら、その時はと考えていたようです」

   吉田の評論が注目を集めるきっかけとなったのは、1983年の世界的なピアニスト・ホロヴィッツの日本公演だった。バブルに浮かれていた日本では、自分で判断する「選択能力」を失い、大演奏家というだけで称賛していた。しかし、吉田はいまのホロヴィッツは鍵盤のミスタッチが多いと指摘し、「ひびの入った骨董品」と一刀両断にした。

   ゲストの片山杜秀(慶應大学准教授)は「吉田さんには教養がありましたね。古いものも知り、それを現代にどう合わせるかを考えていた。物事を見抜く力と直感力。自分はこう思うけど、あなたはどう思うと、いつも問いかける評論が多かったです」

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