秋葉原通り魔・加藤智大「獄中手記」成りすまし連中見返すために大量殺人
今週は新潮と「週刊ポスト」に読むべきものが多い。ポストの「秋葉原17人殺傷通り魔事件 加藤智大被告 衝撃の獄中手記」は、ネットの掲示板でしか自分の人生の空白を埋められなかった被告の心の闇の一端を覗かせてくれる。08年6月8日、加藤被告は掲示板に宣言した秋葉原無差別殺傷を実行するために、トラックで交差点に突っ込んでいった。きっかけはトラブルがあって掲示板での交流ができなくなったことと、働いていた自動車製造工場を辞めたことだった。
「掲示板と私の関係については、依存、と一言で片づけてしまうことはできません。(中略)全ての空白を掲示板で埋めてしまうような使い方をしていた、と説明します。空白とは、孤立している時間です。孤立とは、社会との接点を失う、社会的な死のことです」(加藤被告の手記)
人をはねた後のことは覚えていないという。
「私は、刺した人のうち3人しか記憶にありません。刺してなどいない、と主張したいのではなく、感覚的にはもっと何人か刺した気はするけど、画像として記憶に残り、それを言葉で説明できる人が3人しかいない、ということです」(同)
掲示板でのトラブルとは、成りすました人間から、障害者だ、ハゲ、デブだとか中傷されたことだという。それがどうして現実世界の無差別殺傷へとつながるのか。加藤被告は「それが掲示板でのトラブルだったから」だとこう書いている。
「成りすましらはどこの誰なのか、全く分かりません。(中略)成りすましはどこの誰なのかわからないために、殴るといった直接の物理攻撃も、にらむといった直接の心理攻撃も、不可能で、何かを通して、間接的に攻撃するしかなかった、ということです。(中略)そこで、何故私が大事件を起こしたのかに心当たりのある成りすましらは、『ヤバい』『大変なことになった』『俺のところにも警察がくるかも』『マスコミにバレたらどうしよう』『何か責任をとらされるのか』等と、焦り・罪悪感・不安・恐怖といった心理的な痛みを感じることになるはずでした」
加藤被告は子どもの頃、両親、とくに母親に厳しくされ、相談することや口喧嘩という概念が醸成されなかったという。ネットの中の成りすました連中を見返すために現実世界で大量殺人を犯すという「ものの考え方」は、尋常ではあるまい。だが、こうした人間が増えていることは事実であろう。これを現代の歪みが生んだ事件だと、訳知り顔で片づけていいはずはない。