三笠宮寛仁親王の葬儀―妻ではなく長女が喪主つとめた夫婦事情
三笠宮寛仁親王は皇室のスポークスマンとして発言し、モノいう皇族として、庶民の人気はすごいものがあった。十数回にわたるがんの手術にも耐えたが、6月6日に薨去(こうきょ)された。享年66。文春によれば雅子さまの療養が長く続く皇太子ご夫妻のことも心配しておられ、皇太子の「人格否定発言」の直後には、皇太子に手紙を送ったが、返ってきたのは儀礼的な返事だったそうだ。
「常々、『皇太子の周りには家来がいない』とおっしゃっていました。東宮という『役所』に詰めている人間だけでは、生身の人間同士の付き合いができないという意味です」(三笠宮寛仁親王の知人)
ヒゲの殿下と親しまれたが、夫婦仲は秋風が吹いていたと、文春、新潮がともに書いている。妻の信子さまは麻生太郎元首相の実妹である。本来ならば葬儀の喪主を務められるはずが、喪主は長女の彬子女王殿下だった。新潮はこう書いている。
「『信子さまには気位の高い面があり、必要以上にプリンセスとして気負っている感じでしたね』(知人)という声があるのもまた事実。やはり、殿下の永年の闘病と破天荒な生活。そしてその看護から、やがてストレスを強めていったのかも……」
小沢の場合もそうだが、夫婦仲というのは難しいものだ。今晩はケーキでも買って早く帰るか。