東京高等裁判所は7日(2012年6月)、15年前に東京・渋谷で起こった「東電女性社員殺害事件」の再審を決定した。無期懲役で服役していたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ(45)さんの刑の執行停止(釈放)も決めた。決め手は現場に残された精液や体毛などのDNA鑑定で、マイナリさんとは別の第3の男が殺害した可能性が高くなったためだ。警察・検察も裁判所も考えもしなかった、あるいは無視してきたことだった。その衝撃は大きい。
強引な見込み捜査でDNA鑑定も容疑者不利のものだけ
この事件は直接証拠が少なく、警察は隣のビルに住むマイナリさんが一時この部屋のカギを預かっていたこと、トイレのコンドームから検出された精液などの血液型が一致したことからマイナリさんを逮捕・起訴した。一審の東京地裁は無罪となったが、二審の逆転有罪・無期懲役が最高裁で確定した。マイナリさんは一貫して無罪を主張し、支援者が証拠の新たな鑑定をもとに再審を求めていた。
決定は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠があり、これが控訴審に出されていれば、有罪にはならなかった」と明快だった。鑑定されたのは被害者の体内の精液、陰毛、衣服などについた血液などで、ここから「証拠番号376の男」が浮かび上がった。
警察は早い段階からマイナリさんに絞った見込み捜査を続けた。DNA鑑定もマイナリさんにつなげるものだけが行われ、被害者の体内の精液も血液型しか調べていない。精液の血液型はO型で、マイナリさんはB型だったが、被害者が直前に性交した男性がO型だったため、「それだろう」で済ませている。何とも大雑把だ。
それでも当時、この捜査は状況証拠で無理なく有罪を勝ち取った適正なケースという評価だった。NHK社会部の堀部敏男記者は「何が欠けていたのか、徹底検証が必要」という。一審の地裁が状況証拠を不十分として無罪を言い渡したのは、コンドームは事件以前の可能性があり、複数の人間の体毛が採取され、マイナリさんの定期入れが巣鴨で見つかったが、マイナリさんは巣鴨を知らず、真犯人が捨てた疑いがあったからだ。
ところが、二審の高裁はコンドームは当日でも不自然ではない、他人の体毛は関係ない、定期入れは無罪を示すことにはならないとして、「一審は事実を誤認した」とまで言って有罪とし、無期懲役を言い渡した。最高裁もこれを維持し確定した。
一審「無罪」の裁判長「私はきちっと証拠で判断した」
一審の裁判長だった山室恵さんは、「裁判官の多くは有罪が妥当と考えていた」という。「状況証拠は圧倒的にマイナリを指していた。私はきちっと証拠で判断した。だから恐ろしいんですよ」。では、一審と二審を分けたものは何か。東京高裁判事だった木谷明さん(現・法政大学大学院教授)は、「(裁判官は)最初に被告人がちょっとおかしいなと感じると、心証でそれを引きずってしまうことがある。マイナリさんの弁解が曖昧であったことは間違いない。でも裁判所が簡単に弁解を排斥してしまったのは問題だった」と話す。そして、「弁護側は検察が持っている証拠の全部は知らない。現行制度の盲点で、知っていればもっと早く(再審決定が)できただろう」と言う。
キャスターの国谷弘子「プロが捜査してプロが裁く。それが同じ流れに乗ってしまうのは怖い」
木谷教授「裁判所はもっと証拠を批判的に見る必要がある。有罪を厳格に考えるべきだと思います」
マイナリさんが支援者に送った手紙は120通にもなる。初めローマ字だけだったのが、いまは漢字仮名交じりで「私は再審無罪でネパールに帰ることを期待しています。私は犯人ではない」と書いてあった。これほど痛ましく悲しい15年があっただろうか。有罪判決を出した裁判官に聞いてみたい。再審決定後もなお有罪といい続ける検察にも。
ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2012年6月7日放送「東電女性社員殺害事件 再審の衝撃」)