「酒もたばこも未成年の頃からやっていました」
そんなことをテレビで平気でおっしゃる殿下だった。きのう6日(2012年6月)、多臓器不全で亡くなられた三笠宮家の長男、寛仁さまは型破りな皇族だった。
「アルコール依存症の三笠宮です。チクショーとやけ酒を飲んでしまう」
愛称は「ひげの殿下」で、人柄も発言もざっくばらんだった。1977年4月1日、テレビ番組「徹子の部屋」に出演したことがある。黒柳徹子との対談で「高校生になってからは粋がるようになって、チンピラまがいのことをやっていた。タバコを吸うとかさ」
黒柳「おいくつのときから?」
寛仁「高校1年生くらい」
黒柳「お酒は?」
寛仁「お酒はもっと前から飲んでいたね」
2007年には「アルコール依存症の三笠宮です」と自己紹介して会場から拍手を浴びた。その理由について、「昨年、一昨年から皇室典範の問題なんかにクビを突っ込んで、心痛や心労が重なるたびに、ええい、チクショーとやけ酒を飲んでしまうことがここ3年多くて…」と語っていた。
皇族でなかったら「政治家とか経済界の親分になりたかった。スキーの先生もいいかな」
元テレビ朝日宮内庁担当記者の神田秀一が明かす。「徹子の部屋」に出演の時、テレ朝の車で一緒にスタジオに入った。その時、「黒柳さんが、寛仁さま、お酒をやめないと、あなた死んじゃうわよといった。寛仁さまはわかったよ、やめればいいんだろうとおっしゃったというんですね。でも、最後までおやめになることができなかったようですね」
銀座のバーでもよく飲んだという。「外で護衛官や警視庁の人が、12時になっても出ていらっしゃらないと待っている。でも、ぼくはとっくに裏口から出て帰っているんだ、と面白がっていらっしゃいました」
深夜放送のDJを務めたこともある。リスナーから「皇族でなかったら何になりたかったですか」という質問が寄せられた。皇族の身分を離れたいと意思表示をして波紋を呼んだことがあるが、質問には「政治家とか経済界の親分になりたかった。スキーの先生もいいかな」と答えている。
がんに侵され16回の手術を受けるという闘病生活だったが、障害者福祉やスポーツ振興など多くの分野に力を尽くされた66年の生涯だった。