菊地直子「愛の逃亡生活」?ふざけちゃ困る!サリン被害者はいまも苦悶

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   オウム真理教の元信徒の菊地直子容疑者(40)の逃亡生活から、残るもう1人の特別手配の高橋克也容疑者(54)の足取りが少しずつわかってきた。同時にさまざまな人間模様も見えてきた。

「寛人を愛するようになり、この生活を変えたくなかった」

   リポーターの所太郎が年表を示しながら、17年におよぶ菊地の逃亡生活を説明する。菊地と高橋は1996年11月に埼玉県所沢市のアパートから逃げ出す。2人は神奈川県の新横浜や川崎市のホテルなどを転々としていたが、01年ごろに川崎市のアパートで生活するようになった。アパートのオーナーによると、借主は「サクライ・シンヤ」。菊地の「櫻井千鶴子」と符合する。

   その生活が続いているなか、菊地は05年ごろ横浜市の会社で、菊地を匿ったとして逮捕された自称会社員の高橋寛人容疑者(41)と知り合い、やがて東京都町田市で同棲するようになる。菊地は高橋寛人に結婚を申し込まれたが、「オウムの菊地直子なので結婚できない」と断った。しかし、「寛人を愛するようになり、この生活を変えたくなかった」と語っている。10年ごろ神奈川県相模原市へ転居。そこで、今回の逮捕となった。

   この間、高橋克也は川崎市のアパートにずっと住み続けて、そのアパートを出たのは11年の暮れだった。実はこの3人、2年前に川崎のデパートで会って話をしていたという。

世間の目欺くための「カップル潜伏」が次第に…

   こうした17年の逃亡生活がピアノの調べにのせて語られる。所太郎によると、当時、オウム真理教の逃走犯は男女カップルで行動するのが原則だった。1人ずつより世間の目を欺きやすいからだ。当初は方便だったその逃走スタイルだが、「それが次第にさまざまな人間模様を描き出した」という。オウム事件に詳しい参院議員の有田芳生は、「逃走犯の心理として、日常的に心を許せる人が身近にいたことが、逃走の大きな支えになったと思う」と語る。

   月刊誌『ゲーテ』編集長の舘野晴彦はこれに対して、「ピアノの演奏とともに17年間の逃亡生活についてのナレーションを聞くと、どんな人生だったのだろうかといろいろ考えてしまうが、サリン事件で苦しんでいる方はまだいらっしゃるということを忘れてはいけない」と、肝心要の指摘をした。司会の赤江珠緒も「被害者の方への謝罪もまだない」。事件の解明はまだまだこれからだ。

文   一ツ石| 似顔絵 池田マコト
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