タレントのウエンツ瑛士が担当の「WEニュース」コーナーは、「やっぱりレディー・ガガが好きSP」だった。台北公演を済ませて現在はマニラにいる。先にインドネシア・ジャカルタでは受け入れ拒否が伝えられたが、マニラでも歓迎の一方で、保守的なキリスト教徒から抗議も受けていた。しかし、ワールドツアーはこのあと、バンコク、シンガポールと続く。
「マドンナより上」「あっちはパクリ」
この人気スターがどう生まれてきたのかのおさらいをやった。1986年ニューヨーク生まれ。本名はステファニー・ジャーマノッタ。IT関係の仕事の裕福な家庭で育った「超お嬢様」だった。4歳でピアノを始め、13歳で作曲、地元のステージに立った。学業も優秀で、17歳で難関のニューヨーク大学芸術学部に入学した。
しかし、「したかったのは音楽を作ること」(本人)ということで、1年で退学し、家も出て1人暮らしをはじめた。オーディションを受けた19歳の時の映像があった。ピアノの弾き語りだ。「超貴重映像です」とウエンツ。当時、生活は荒れていて、ストリッパーまでやったというが、音楽への情熱は失わず、05年にレコード会社と契約。初めて「レディー・ガガ」を名乗った。スタジオに入るとき、クイーンの「Radio GaGa」を口ずさんでいたことからだという。
ガガ本人はインタビューで「新しい名前は生きるための手段だった。辛い思いを経験した人には必要なもの」「過去は悲惨だったわ。その体験は忘れないけど、誰かを責めるつもりはない」という。「私は独創的だと思う。いつもパッとひらめく。世間体を気にして自分のイメージに逆らったりしてはダメ」
1度は契約を打ち切られるが、08年に奇抜なメークとファッションのデビューアルバム「フェイム」が大ブレークした。ブリトニー・スピアーズらに楽曲を提供している。リアーナ、ビヨンセはガガを尊敬しているといい、ロックのKISSは「マドンナより上だ」という。パリス・ヒルトンは同じ高校の出身で、ツーショットの映像もあった。
キャスターのテリー伊藤「過去のスターはビートルズ、プレスリー、マイケル・ジャクソンと男性 だったでしょう。それが女性になってきた。マドンナもそう。すごいなと思う」
突然つかみかかり、髪引っ張り突き飛ばしの乱闘
しかし、なんといっても衝撃なのは、そのマドンナと喧嘩だ。ウエンツは「ガガにパクリ疑惑があって」という。たしかに大胆なステージ衣装にはその匂いがある。マドンナが「ガガってだれ?」と言ったとかもあって、不仲説があるのだそうだ。そして、「テレビでの共演では大変な修羅場になりました」と出した映像が面白い。09年のNBC「サタデーナイト・ ライブ」で、似たような黒の下着ファッションで並んで歌っていた2人だが、マドンナが突然ガガにつかみかかって髪を引っ張る。ガガが突き飛ばすと、レスリングまがいになった。
トークになってからも、ガガが「マドンナより私の方がレベルが高い」というと、「私の方が背が高い。ガガなんて変な名前」とマドンナ。と、「ビルボードの1位なのよ」とガガがマドンナにタックル。引き離されて、ガガが「ポップアイコンをなめないで」というと、「その通り」とマドンナが受けてパチンとタッチした。むろん演出だろうが、いやはやアメリカのテレビはやることが半端じゃない。
司会の加藤浩次もびっくり「トップの2人が、ケンカごっこしてる」
キャスターのテリー伊藤「日本じゃ考えられないね」
加藤「松田聖子さんと浜崎あゆみさんがケンカごっこしてるようなものだもの」
ウエンツ「それを笑えるかと」
テリー「面白い」
実はこれ、発売中のDVD「LADY GAGA ON THE EDGE」のPRなのだった。手の込んだことをしたものだが、ガガとマドンナの取っ組み合いは迫力満点だった。