大津波に立ち向かい、住民の避難誘導や水門閉鎖の作業に従事していた254人の犠牲者を出した東北被災地の消防団が新たな危機に直面している。NHKが最も被害の大きかった宮城県内のすべての消防団にアンケート調査を実施したところ、存続の危機に立たされ、地域を守れない切羽詰まった状態が浮かび上がってきた。
犠牲になった254人のうち、86.4%はこれから町の防災の中核となる20代から、一家の大黒柱だった50代までの人たちだった。消防団は他に仕事を持つ一般市民によって構成されているが、団員はボランティアといわれるのを嫌う。強い使命感、誇りを持って活動している証しで、大震災ではそれが裏目に出てしまった。また、人を助けることばかりで、団員自身の安全確保については見過ごされてきたことも浮き彫りになってきた。
避難誘導や水門閉鎖で254人が犠牲
宮城県東松山市東名地区。3・11では7割の建物が津波に流され住民180人が犠牲となった。この中には、防災を任されていた消防団員29人のうち2人が含まれていた。団員のほとんどがサラリーマンで、津波発生当時は7割が地区外で仕事をしていた。分団長の桜井光悦もその一人。20キロ離れた仕事先から急いで町に戻ろうとしたが、連絡手段である携帯電話は不通、団員の居場所確認や指示ができず、「とにかく現場に入らなければ何も分からない」と車を走らせた。
この時、東名地区にいた団員は29人のうちわずか4人。2人が海岸周辺住民の避難誘導に当たり、2人が2つある水門の閉鎖へ向かった。水門に駆けつけた斎藤裕は驚いた。水門は電気で開閉するのだが、停電で動かない。大津波が迫るのも知らず、やむなく手動で作業に取りかかったが、「何回回しても思うように進まない。50分ぐらいで動いたのは15センチほど」で、もどかしさに耐えられなかったという。
桜井が東名地区にようやくたどり着いたとき、地震発生から50分ほど経っていた。防災無線は故障で役に立たず、津波発生を知らない人が大勢いた。桜井は「何でまだいるの?という感じでしたね」という。この時には団員も4人から9人に増えていたが、お互いの連絡は取れず大混乱に陥っていた。そこへ「バリバリバリ」、大音響とともに大津波が押し寄せてきた。
桜井は乗っていた消防車を飛び降りて近くのビルに逃げ込んだ。斎藤は水門にしがみつき奇跡的に助かった。「逃げ出すわけにはいかなかった」という。しかし、住民の避難誘導を続けていた2人の消防団員が津波に巻き込まれ亡くなった。