「週刊現代」「週刊ポスト」「週刊文春」が橋下徹大阪市長の特集を組んでいる。現代、文春ともに橋下大阪市長の支持率は圧倒的で、文春によるとアンケートをとった583人の内訳は、支持するが63%、支持しないは37%しかいない。また女性の支持率が高く、男性は61・1%だが、女性は65・6%である。文春はさらに、識者といわれる人たちに話を聞いている。小林よしのり、竹中平蔵から芥川賞作家の西村賢太まで13人のうち、支持するのは5人、不支持が8人。笑えるのは竹中平蔵で、橋下徹は第二の小泉になれるとこう話している。
「小泉さんが支持されたのは、国のあり方、将来の経済の姿を示した上で、だから郵政民営化が必要だと言ったから。そして原理原則にすごくこだわった」
小泉が描いていた近未来の日本の姿は、いまのこの惨状だったのか。ブラックジョークとしか思えない発言である。それに比べれば西村賢太のほうがナンボかましである。
「一体に反権力のポーズほど胡散臭いものはなく、そんなのを打ち出す者に限って、イザ自分が権力を握ったら独裁者となり、とんでもない政策に奔りがちにもなる。これもすべて選んだ側の、民意の結果に帰されてはたまったものではない」
現代の「なぜ小沢でなくて、橋下なのか――この時代の読み方」は3部構成になっている。1部の田中秀征×田崎史郎の対談は読むところなし。2部の石川知裕×後藤謙次のほうがまだいい。石川は小沢の元秘書で、政治資金規正法違反で一審有罪判決を受け控訴中だが、小沢に無罪判決が出た後、電話1本なかったことをこう話している。
「『自分は無罪判決を得たけれども、みんなの苦労は決して忘れないから』ぐらいの労いの言葉はあってほしかったですね」
小沢が消費税増税に反対していることに対しても、「93年に著した『日本改造計画』では、消費税を10%にして所得税を半減させるという直間比率の見直しを謳い、細川政権では国民福祉税構想を打ち出した。ではなぜいま、増税に反対するのか。この問いに小沢元代表がどう答えるのかということが大きなポイントです」と、親分・小沢とは距離を置き始めているようだ。
橋下と小沢との連携も組むか組まないかの決定権は橋下にあるという。
「選挙で勝ち上がってきたメンバーを見てからの橋下さんのひと言が決め手になると思います。いずれにしろ、いまの勢いでは、橋下さんのほうが相手を選ぶ立場です」
こうした元秘書の言を小沢はどう聞くのだろうか。政治ジャーナリストの後藤も最後にこういっている。「小沢氏から橋下氏に、もう『政治の流れ』は変わってしまったんだと思います」
サプライズで全国的ブーム起これば衆院29議席
「サンデー毎日」は巻頭で「衆議院『300選挙区』当落」を予測しているが、その中で選挙プランナーの三浦博史は、維新の会をブレークさせるための「超サプライズ」は「ズバリ東京1区から橋下氏自らの出馬です」と言っている。そこにメディアの注目を集めて維新の会を全国的なブームにしていけば、相当な議席をとるというのである。党派別の議席獲得予測では、大阪維新の会が29、維新の会と近いみんなの党が35議席とると見ている。
現代に戻ろう。3部では「好きでも嫌いでも『次の総理』橋下徹」だといい切っている。これまでの20年、政界は「小沢か、非小沢か」で動いてきたが、これからは「橋下か、非橋下か」に変わるというのだ。消費税増税、原発再稼働に走る野田政権を批判し、首相公選制導入を掲げ、国民にも「自立、自己責任、自助努力」を求める橋下流が、これからの流れになっていくのだろうか。我こそ日本のリーダーだと胸を張り、わかりやすいキャッチフレーズ、国民にも痛みを分かち合ってもらう改革を訴えているところは、たしかに小泉元総理によく似ている。
橋下流は初めに大風呂敷を広げておき、相手が反撃してくると話を小さくしたり、問題をすり替える手法を使うとジャーナリストの大谷昭宏は批判する。
「原発も、自分から『大飯原発を止めろ』と言っておきながら、今になって『府民にも応分の負担をしてもらう』『その痛みを府民は受け入れる覚悟はあるのか』と、今度は責任を府民に押しつけようとしている。たちの悪い酔っ払いのような手口です」
現代は「『一度はこの男に賭けてみたい』そんな期待と不安が、沈滞ムードに沈む日本を揺り動かし、いま大きく変えつつある」と結んでいる。「強いリーダー」かもしれないと幻想を抱き、熱狂した小沢一郎や小泉純一郎の化けの皮は剥がれ落ちた。その愚を今度は橋下で繰り返すのだとすれば、この国の近未来はなおさら暗くなるに違いない。
やり過ぎ心配な大阪市ナマポGメン「生活保護天国」返上に執念燃やす市長
ポストは橋下市長が生活保護天国・西成に4月から送り込んだ警察OBや元ケースワーカーらによる「不正受給調査専任チーム」ナマポ(生活保護)Gメンの動きを伝えている。
大阪市は11年度予算ベースで生活保護費は支出の2割に相当する2916億円。そのうち、市の調査で判明した不正受給は2615件、約12億円にも上るという。生活保護をもらう人間からむしり取る貧困ビジネスも盛んで、敷金・礼金いらずの福祉アパートなるものが次々にでき、ベニヤ板の仕切りしかない部屋に押し込めて、住宅扶助の上限である4万2000円をかすめ取る手口が横行している。生活保護受給者は医療費がただになるため、病院から向精神薬を大量にだまし取り、暴力団の資金源にしているケースもある。
橋下市長は生活保護天国の汚名を返上することが大阪都構想を実現する絶対条件だと考えていると、在阪ジャーナリストが解説している。だが、不正受給排除に力を入れるあまり、本当に必要な弱者まで弾かれてしまうことが起きはしないか。どちらにしても橋下徹の改革は始まったばかりである。性急に支持、不支持を決めずに、長い目で観察していくことである。2年後、3年後にまだ橋下ブームが続いているなら、そのときに考えればいい。
五木寛之「いまは下山の時代。少し不便になるくらいいいじゃないですか」
「私たちは今、間違いなく下山の時代に生きている。それを登山中だと錯覚しちゃいけない。(中略)山を下ってるんだから、少し不便になるくらいいいじゃないですか、という話ですよね。便利に慣れるとそれが当たり前になって、なくなると最初は不便に思うかもしれないけれど、大丈夫、慣れますよ。この間、月の光で本が読めるかと思って、ちょっと試してみたんです。そうしたら皓々たる月の光の下でくっきりと読めた。(中略)ちょっと感動したんですけどね」
これは「週刊文春」の「阿川佐和子のこの人に会いたい」に出た作家・五木寛之の言葉である。五木は石原慎太郎都知事と生年月日が同じで、今年(2012年)の9月で80歳になるという。
小説は「青春の門」以来見るべきものはないが、人生いかに生きるべきかというエッセイは、出るたびに多くの読者を獲得している。最近も『下山の思想』(幻冬舎新書)が話題になった。東日本大震災以降、「絆」が強調されているが、五木はこの言葉に違和感があるという。「『絆』は、本来、馬や犬などの家畜を繋いでおく綱、という意味じゃないのかな。ですから僕には、絆というのは人間の自由を縛るもの、というイメージがあったんです。(中略)戦後、日本人が抱いた開放感にも、さまざまな絆から自由になれるという部分があったわけです。(中略)だから絆を断ち切るのはいいことだったんです。でも戦後六十数年経って、みんなもう一度、一体感を取り戻したくなったということなのかな」
五木は「孤独死こそ理想」だという。自分が十分生きてきたという自負が出てきたとき、自分で自分の身を処する道もあっていいと語る。
「人生の締めくくりくらいは、自分の意志で決めさせてもらってもいいんじゃないか」
いつか『孤独死のすすめ』という本を書いてみたいとも話している。多くの女優たちと浮き名を流してきた人気作家だが、そうしたギラギラした人生を送ってきたからこそ、今の修行僧風の言説に説得力があるのだろうか。今の日本は下り続けていること間違いないが、果たして、再び上り始めるときが来るのだろうか。