五木寛之「いまは下山の時代。少し不便になるくらいいいじゃないですか」
「私たちは今、間違いなく下山の時代に生きている。それを登山中だと錯覚しちゃいけない。(中略)山を下ってるんだから、少し不便になるくらいいいじゃないですか、という話ですよね。便利に慣れるとそれが当たり前になって、なくなると最初は不便に思うかもしれないけれど、大丈夫、慣れますよ。この間、月の光で本が読めるかと思って、ちょっと試してみたんです。そうしたら皓々たる月の光の下でくっきりと読めた。(中略)ちょっと感動したんですけどね」
これは「週刊文春」の「阿川佐和子のこの人に会いたい」に出た作家・五木寛之の言葉である。五木は石原慎太郎都知事と生年月日が同じで、今年(2012年)の9月で80歳になるという。
小説は「青春の門」以来見るべきものはないが、人生いかに生きるべきかというエッセイは、出るたびに多くの読者を獲得している。最近も『下山の思想』(幻冬舎新書)が話題になった。東日本大震災以降、「絆」が強調されているが、五木はこの言葉に違和感があるという。「『絆』は、本来、馬や犬などの家畜を繋いでおく綱、という意味じゃないのかな。ですから僕には、絆というのは人間の自由を縛るもの、というイメージがあったんです。(中略)戦後、日本人が抱いた開放感にも、さまざまな絆から自由になれるという部分があったわけです。(中略)だから絆を断ち切るのはいいことだったんです。でも戦後六十数年経って、みんなもう一度、一体感を取り戻したくなったということなのかな」
五木は「孤独死こそ理想」だという。自分が十分生きてきたという自負が出てきたとき、自分で自分の身を処する道もあっていいと語る。
「人生の締めくくりくらいは、自分の意志で決めさせてもらってもいいんじゃないか」
いつか『孤独死のすすめ』という本を書いてみたいとも話している。多くの女優たちと浮き名を流してきた人気作家だが、そうしたギラギラした人生を送ってきたからこそ、今の修行僧風の言説に説得力があるのだろうか。今の日本は下り続けていること間違いないが、果たして、再び上り始めるときが来るのだろうか。