「週刊現代」が「読売ならともかく 朝日『消費増税』礼賛と、国税調査」で、朝日新聞に怒っている。私も前々から、新聞はなぜ消費税増税に賛成の大合唱なのだろうと不思議に思っていた。それに、次々に発覚する新聞社の申告漏れ。朝日新聞が4800万円の所得隠し、2億円超の申告漏れがあったと3月30日(2012年)の読売新聞が報じたし、4月10日には日本経済新聞が3年間で約3億3000万円の申告漏れがあったと、自ら報じている。現代によれば、読売も09年に修正申告しているし、消費税増税に反対の立場をとっていた産経新聞にも昨年、東京新聞も最近2度の税務調査が入ったという。
東京国税局=国税庁の母体はいわずと知れた増税の総本山、財務省である。何としてでも消費税アップをやり遂げたい財務省が、消費税反対などしないように新聞社に『圧力』をかけたと現代は推察する。
たしかに新聞社だけではなく、メディアにとって税務調査は鬼門である。取材相手を明らかにできない取材費や謝礼など、当局が叩けばいくらでも埃が出てくるからだ。私がいた出版社でも税務署対策なのだろう、国税庁の大物OBを顧問のような形で入れていた。国税の人間から依頼された学生は優先的に採用せざるを得ないと、人事担当者が嘆いていたことを思い出す。
大新聞社説「横並びで同じフレーズ」の奇っ怪
そうした圧力が功を奏したのかもしれない。中でも朝日新聞は社を挙げて消費税導入すべしと前のめりの論調が目立つ。3月31日付の社説「やはり消費税増税は必要だ」では、「増税から逃げ出さずに早く決断することが大切だ」。4月6日付社説「消費税増税と政治――言い訳やめて、本質論を」では、「有権者の審判は消費税増税を決めたあとに仰げばいい。民主党の公約違反の責任はそのときにとってもらおう」と、増税したら民主党などどうなろうと構わないと思える論調である。朝日の論説委員の一人は社内の空気についてこう語っている。
「消費税増税については『国家財政が傾いているのだから、増税は当然』というのが大前提で、増税に反対だという意見は出たことがありません。(中略)消費税増税による庶民の痛みをどうするか、といったようなことは議論の対象にすらなりませんね」
このときとばかりに、勝栄二郎財務省事務次官を始め、財務省の面々がマスコミ懐柔に走り回っている。その結果、各紙の社説に同じようなフレーズが出てくると、現代は指摘している。
「4月6日付社説に出てきた『決められない政治からの脱却』というフレーズがそうだ。同じ言葉は、3月31日付『日経新聞』社説、同『毎日新聞』社説、4月10日付『産経新聞』主張(社説)にも登場する」
真壁昭夫信州大学教授はこういう。
「消費増税は、財政の立て直しの段階でいつか必要になります。ただタイミングを誤れば、'96年の増税のあと金融危機が起きたように、日本経済にとって致命的な打撃になる。どう見ても、現状では消費税を上げることはリスクが高い」
大新聞が一斉に同じ方向を向いたときこそ、週刊誌の出番である。
石川遼パパは息子の彼女お嫌い…「あれは本当の姿なのか」
現代の「石川遼の『婚約』家族はこう考えている」を挙げておく。父・勝美のインタビューが掲載されている。これを読むと、勝美の危機感や焦燥感がうかがえる。中でも今回の婚約について、両親に相談することなく2人だけで出した結論だったことに、苛立ちを隠せないようである。
遼の婚約が早いからといって心配はしていないといいながら、「本当に遼が彼女と結婚するのかも分からないし、たとえ結婚せず別れたとしても『どうしたんだ?』と聞くことはないでしょう。(中略)彼女のことだって、いまは『いい子だな』と思っていますよ。でも、それが本当の姿なのか断言する自信はない」と語っている。これを彼女が読んだらどう思うだろうか。
結婚をするということは親離れすることである。掌中の玉がどこの誰かわからない女に奪われ、捨てていかれるのではないかという焦りが、記者たちへの傲慢な態度や暴力につながっているのではないのか。どこにでもある父と息子の葛藤の物語ではあるが、いつの時代も子離れできない親ほど哀れなものはない。