あの気仙沼「ファイト新聞」子どもたちユネスコ招待―避難所での頑張り評価

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   東日本大震災の被災地・宮城県気仙沼の避難所で、小学生たちが震災直後から作ってきた「ファイト新聞」のメンバーが、パリのユネスコ本部に招待されて活動をたたえられた。招待を受けたのは当時の吉田理沙編集長(7歳)ら5人。「パリへはかわいい格好で行かせてあげたい」と、東京のアパレルメーカーからしゃれたユニホームが贈られた。

「暗い記事を書いたらクチャクチャにして捨てる」

   吉田編集長によると、震災発生から1週間目、不便な避難所生活を強いられる中で、「そうだ、新聞を作ろう」と思い、仲間を募り手書きで始めたという。避難所での日々の暮らしを綴った新聞は4か月間続き、50号を節目に活動を中断していたが、先月(2012年3月)になって「ファイト新聞」を文化遺産として保存・管理しながら、再び発行していくことになった。地元企業のスポンサーもつき、デジタルカメラも贈られて社団法人「ファイト新聞社」に衣替えした。

   コメンテーターで登場したニュースキャスターの宮田佳代子は、「暗い記事を書いたらクチャクチャにして捨てる。その心意気がすごい。大人と同じくらい辛い目にあっているのに、強い心がどこかにあって、それが素直に表現されたのが人々の心を打ったのでしょう」と話す。

   今後は、大人が妥協したり見過ごしてしまう気仙沼復興完了までの姿を、子どもの視線で追い続け記事にして欲しい。

文   モンブラン
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