大関昇進の口上で、「お客様に喜んでもらえる相撲がとれるよう努力します」と平易な言葉を並べた鶴竜。司会の小倉智昭はオープニングからべたぼめ。
「16歳で入門した時は65キロしかなかった。それがいま148キロ、 そんなに大きくなるもんなんですね」「口上が4文字熟語ではなかった。お客様がって、いいじゃないですか」「この人は英語も話し、日本語の新聞を読み、ロシア語も理解するという。たしかに、インタビューの話しっぷりは日本人とほとんど変わらない、非常に滑らかできれいな日本語です」
父親がモンゴルの国立大学の学部長だから、普通ならお坊ちゃんだが、8歳のときにバスケをやりたかったがシューズが買えなかった。両親孝行のために、日本で相撲をというのが始まりだった。
若乃花の取り口勉強し、ボルトの走り、メッシの動きも研究
小倉「65キロじゃ相撲界では見向きもされないのを、若乃花関の取り口を勉強したり、陸上のボルトの走り方を見たり、メッシのサッカーを研究したりして努力の末ですよ」
大阪場所の横綱白鵬との優勝決定戦は歴史に残る1戦だった。白鵬の寄りを懸命にこらえた土俵際、もちこたえて拍手が起こったところで力尽きた。しかし、本割で白鵬に2連勝している力士は他にいない。
小倉「ただこれで6大関になる。うち3人はまだ場所の優勝経験もないわけで、この中から横綱になるのは大変。星の潰し合いが多くなるんだから」
笠井信輔アナ「戦国時代と見立てて、面白くなっていくという見方もできないかなぁ」
鶴竜は入門から大関まで62場所と、外国人力士の中では一番遅かった。しこ名はかつての名関脇「鶴ケ嶺」からという。鶴ヶ嶺の次男、元関脇逆鉾の井筒親方が育てた。 初め親方は「床山にでも」と思ったそうだが、うれしい大化けだ。
小倉「鶴竜はそれまで27場所も横綱に勝てなかったのに、2連勝している。優勝決定戦も惜しかった。彼の活躍が大阪場所を盛り上げていた。こういう人が大関でがんばってくれると、相撲もますます面白くなる。相撲の復活にもなる。いい大関が誕生しました」
そうだな、次は英語をしゃべるところを聞いてみたい。実をいうと、てっきり日本人だと思っていたのでした。