タレント中島知子と同居していた占い師が「とくダネ!」のカメラの前に現れた。「私が全部悪い感じで言われているので、自分が出ないと家族が大変だから」という。中島は占い師のマインドコントロール下にあって、服装、食べ物などすべてを指示され、金はたかられてすっからかん。これがこれまでの報道内容だが、まったく違うと語った。
「占い師」は地味だが洒落たデザインのチャコールグレーのコートを脱ぐと、胸が大きく開いた花柄のワン ピースだった。黒の短いブーツに黒の網タイツがのぞく。画像では顔にぼかしが入っているが、化粧も地味だ。無造作な手提げ袋…。
ビデオを見て中野美奈子アナは「ふくよかな方だと思っていたが、そうでもない」と言う。 いまは占いはしていないそうで、おととい24日夜(2012年3月)、ホテルで5時間にわたって平野早苗の取材に答えた。
相方の独立で激太り。インスタント食品や菓子ヤケ食い
「気持ちの整理がつかなくて」「(中島を)キヨさんと呼んでいた」「中島さんの話自体が、今考えるとおかしな話が多くて、信じてもらえるかどうか」と「占い師」は話す。初めて会ったのは2005年で、紹介ではなく直接占いに来た。最初の彼と別れた直後で、ふさぎこんでいた。中島は細かいことを相談してきた。服から食べ物、仕事の選択まで。メールもひんぱんだった。しかし、あまり依存されたくないので距離を置いていたという。
関係が変化したのは、「占い師」にショックなこと(恋愛)があって、占い師として使い物にならなくなったとき、中島がそばにいてくれたことからだと話す。仲良くなって、食事、映画、カラオケなどによくでかけた。払いは中島が多かった。中島の激太りは07年の相方・松嶋の独立から。ストレスになって、インスタント食品や菓子などのヤケ食いが多くなった。「私といたから太ったことになってるんですか?」
同居を始めたのは09年。中島から「一緒に住まないか。金は出すから」と言われて、それに乗った。寝室は一緒。食事は自分が作った。「中島さんは(料理が)嫌いなので」。中島が好きなものはビーフシチューと天丼。「ガッツリしたものが好きだった」
そのうち、「仕事自体がつまらない。事業を始めたい」というようになった。芸能界の大物X氏 から「大きな事業があるから家族も呼んで手伝ってほしい」という指示があった。それで母親と叔母が勤めもやめて事務所にきた。映画を撮るというような話だった。しかし、生活費は自分で出していた。「洋服を売ったり、年金を使ったり」
食事から生活などいっさいを中島が仕切り
食事をはじめ、生活のいっさいは中島が仕切り、中島の指示で動いていた。1月末に家賃滞納の問題が起こったことも知らなかった。不動産の人が来ても中島が応対して、「泥棒が入ったので、警察から自宅も事務所も動かないようにといわれている。警視総監と話している」と言っていた。テレビも週刊誌も見ないようにいわれていたので、ニュースはまったく知らなかった。
食事は中島が食材をメモにして家族が買い物に行った、そのメモを見せた。ぎっしりと細かく書いてある。自宅のレンジが壊れたので、事務所で調理したものを家族が運んだ。その姿を毎朝、報道陣が見ていたことになる。
中島は先月28日突然出ていった。いわれたように「2時間説得」などはなく、「2、3日したら戻ってくるから」 と。以後、彼女と家族はマンションで灯りもつけずにひっそりと過ごした。「外が明るいうちに食事を済ませて、あとはじっとしていた」。中島にいわれた通りに、テレビも見ず、週刊誌も見ず。3人がマンションを出たのはそれから20日後の今月19日だった。「どういうことだったんだろう」
「会って、家族ここまで引き込んだわけを聞きたい」
中島とは結局8年間つき合った。 「友だちだと思っていたが、いまはわからない。家族をここまで引き込んだわけを知りたいので会いたいとは思うが、これ以上悪くいわれたくない」という。
司会の小倉智昭が「5時間も話していれば、ウソをついていたら辻褄が合わなくなるものだが…」
平野「そんなことはなかった。マインドコントロールはいさいないという」
しかし、食材 のメモを中島の母親に見せたところ、「筆跡が違う」といわれた。
小倉「彼女が何のためにわれわれに会ったのか。ウソ八百をならべても得はない。だいたいマインドコントロールだの、神のお告げだのというのは、どこからでてきたの?」
芸能デスクの前田忠明は「ウソかホントか50%。 あとの50%は中島がもってる」
小倉「中島も芸能界に戻る気があるんなら、出てきてほしい」