東日本大震災から1年と2日目の12日(2012年3月)、荒波にもまれ、弱り果てた小さな釣り舟がたどり着いた兵庫県香美町からふる里の岩手県に陸路里帰りした。
どこをどう漂流して反対側の日本海にたどり着いたのかナゾなら、舟が着いた香美町には不思議な縁で結ばれた人がいた。
大槌町吉里吉里に1年ぶり里帰り
この小舟は大槌町吉里吉里地区の港に係留してあった「第3長栄丸」。持ち主は野崎長一さん(当時63歳)で、震災時に海の様子を見に行ってそのまま津波にのまれて亡くなり、舟も流されて行方知れずになった。
ところが、昨年の大晦日に香美町の1.2キロ沖合を漂流しているのを漁師が見つけ海上保安署に届け出た。伝え聞いた野崎さんの息子が「父親の遺品を引き取りたい」と海上保安署に連絡し、今回それが実現した。実は、以前から香美町と吉里吉里地区は不思議な縁で結ばれていた。
香美町の石井建材の仲村正彦社長は、震災直後から被災地に物資を届ける支援を行い、いの一番に届けた先が吉里吉里地区の小学校だった。この縁で仲村社長が今回、無償で舟を輸送してくれたという。
専門家も驚く「どこをどう流れてあんなところへ…」
もう一つの不思議は、通常ならあり得ない反対側の日本海側へたどり着いたナゾだ。海岸線をたどっても1500キロは離れている。太平洋南下説を取るのは海上保安庁海洋情報部の増山昭博漂流予測管理官だ。
「基本的に考えれば、可能性は低く1%あるかないか。考えられるのは、大槌町から潮流の強い房総沖まで南下し、その後、黒潮に乗って東へ行きクルッっと回り、さらに南下してフィリピン沖から北上して九州沖を経て兵庫県沖に流れ着いたのではないか。自然現象で起きたとすれば、歴史に残るような事実になる」
津軽海峡説をとる東京海洋大海洋科学部の北出裕二郎准教授は、「通常、津軽海峡は日本海側から太平洋側へ流れる海流が強い。逆方向に通り抜けることはできないが、初夏になる前に潮位差によって太平洋側から日本海側に流れが強くなるときがあり、それに乗って日本海に抜けたと考えられる」と話す。
司会のみのもんた「信じられないね~、舟に聞くしかないか」 息子はこの不思議な船を、「オヤジが乗っていた状態に戻して、色を塗り直し、船外機をつけてもう1度海の浮かべてあげたい」という。