司会の小倉智昭が原発から6キロの福島・浪江町請戸地区にいた。「時間が止まったままです」。笠井信輔アナは宮城・南三陸町の防災対策庁舎の前にいた。「神聖な空気でした」。東日本大震災から1年のきのう(2012年3月11日)、 あらためてこの1年はなんだったのかを考えさせた。
石巻の屋上バス撤去、気仙沼の打ち上げ巨大船はモニュメント
小倉も笠井もスタッフも1年目の各地を訪ねた。手がかりはこれまでに取材した人たちのいまだ。 依然不明のままの夫の死亡届を出す決心をした妻、毎日亡き夫のDVDを見る妻、家業の再開に踏み切れない商店主…。
石巻のビルの屋上にあったバスは撤去された。気仙沼の市街地にある巨大な漁船はモニュメントにして残そうという。南三陸町の防災庁舎は取り壊しが決まった。陸前高田では3階建ての自宅を残そうという商店主もいた。両親と弟が流され、自分は煙突のてっぺんに登って助かった。
しかし、小倉の入った原発周辺は全く違う。町ぐるみ避難して人がいないのだ。除染もめども立たず、帰宅もできないでいる。復興の「ふ」の字もない。小倉は「決断の前にあきらめが必要。2つの責め苦に苛まれている」という。
各地の被災者が書き込んだボードがあった。「いま思うことは?」と問われ、「元気でいます」(宮古・86歳女性)、「あそぶところがほしい」(大船渡・7歳女児)、「(流される人が手を振っていた)助けてやれなくてごめんね」(釜石・62歳男性)、「(震災後に子どもが生まれた)1日1日を 大切に」(釜石・32歳女性)、「11日から店を再開します」(大船渡・36歳男性)、「生き続けます」(気仙沼・41歳男性)、「心までは流れていません。復活!」(南三陸・59歳男性)、「あの日のことを忘れないで」(仙台・61歳主婦)、「二重ローンが不安です」(仙台・53歳 主婦)…。