17年間も逃亡生活を続け、犯人蔵匿の罪に問われている元オウム真理教信徒・斎藤明美被告(49)の初公判が6日(2012年3月)に行われ、懲役2年の求刑があった。
「愛する人を守りたいと逃げることを選んでしまった」
斎藤はオウム真理教元幹部・平田信被告(46) が警察から特別手配されているのを知りながらかくまい、素性を隠したまま逃亡生活を続けた起訴事実を認め、その動機を次のように述べた。
「平田を実行犯と知りながら、愛する人を守りたいという思いが強くなり、逃げることを選んでしまいました」
斎藤は被告人質問の中でこんなことも話した。
「平田が服役するのを見届けて、社会復帰を整えてあげるのが私の仕事だと思っています。(平田が)出所したら再び一緒に暮らしたい」
こうした斎藤の陳述に、弁護人は「悪質とはいえないし深く反省している」として執行猶予を求めた。ならば、なぜ早く出頭しなかったのか。機会はいくらでもあったはずである。斎藤の説明には釈然としないものが残る。出頭しなかった理由の一つとして、平田が国松警察庁長官狙撃事件の犯人として疑われたいたことを挙げているが、事件は2010年3月に時効を迎えたのに、出頭したのは昨年(2011年)の大みそかだ。その時間差について、斎藤は「飼っていたウサギの最期を看取るため」という理由を挙げている。
ところが、そのウサギが死んだのは昨年8月13日で、平田が出頭するのはまだ3か月近くも先だった。この点について、斎藤は「私たちにとって卯年は意味深い年だったから」という。これで本当に反省しているのか。出頭するのと卯年は関係ないと思うのだが…。
文
モンブラン| 似顔絵 池田マコト