不信感募らせたオバマ大統領「米国民避難を最優先しろ」
ところが、12日に1号機で水素爆発が発生。他の原子炉でも水素爆発が次々と起きた。危機感を募らせた米国は方針を一変させ、最悪事態を想定した独自の対策を決めた。日本政府が当時出していた原発20キロ圏内の避難ではなく、50マイル(80キロ)を避難対象とし、そこに住むアメリカ人に対し避難勧告を出すというものだ。
国谷裕子キャスター「情報の共有がここまでうまくいかなかった原因は何ですか」
秋山准教授「最大の問題は、お互いに誤解をしていた点があったと思う。アメリカ側は日本政府に情報がないことを分かっていなかった。日本側はなぜ米国が情報を収集しているのか思いが及ばず、相互不信がスパイラルにいたったのだと思う」
国谷「それにしても政府は、支援の受け入れになぜ消極的だったのでしょうかね」
秋山准教授「確かに能力とか知識はあったのかもしれません。しかし、誰も経験したことのない事態の中でそれをどのタイミングで使うか、知見のあるところから支援を仰ぐべきだった。国際社会のインパクトを考え、事故を過小に見せたいという思いもあったのかもしれません」
確かなことは、危険な原発を運転する東電にも監督する保安院にも、原発の耐震性に過剰に依存し、巨大地震を想定した物質的、精神的な備えが全くなかったこと。それが政府中枢にも伝わっていて、右往左往の対応となったのだろう。
モンブラン
*NHKクローズアップ現代(2012年2月29日放送「『原発情報』クライシス~日本は何を問われたのか~」