「震災直後は、毎日を生き抜くことが全てだった。避難所では、互いの無事を喜び合い、家族を失った悲しみを共有し合った。やがて仮設住宅へと移転し、衣食住が整うと、死を考える自分がいた。寝て起きてメシを喰って、それを繰り返す日々。この先に希望を見出せず、なぜ自分は生き残ったのかと自問している」
宮城県気仙沼市の仮設住宅に暮らす60代の男性は「週刊文春」の「大津波から一年TVでは流せない『被災者の肉声』」で、現在の心境をこう語っている。東日本大震災から1年を前にして各誌が特集を組んでいる。致し方ないことだが、似たり寄ったりの企画の多い中で、目にとまったものを紹介してみよう。
「与えられることに慣れ働く意欲や耕作意欲を失ってしまう」(村長)
「週刊新潮」の大震災ワイドに、被災地の瓦礫受け入れを拒否しているさいたま市のスーパーアリーナに近い住宅街の地下に、核廃棄物ドラム缶が4万本も置かれているという記事がある。この廃棄物が発覚したのは13年前。放置したのは三菱マテリアルで、同社の関係者が事情をこう話す。
「昭和63年頃まで、三菱マテリアル(当時は三菱金属)や三菱原子力工業などが、ここで核燃料や原子炉などの研究を行っていたのです。日本初の原子力船『むつ』の原子炉がここで設計されるなど、大宮の施設はいわば日本の原子力研究の一大拠点でした」
その後、親会社に吸収されたり茨城県東海村へ引っ越したりして、残ったのが三菱マテリアルだった。新潮は瓦礫受け入れを拒否しているさいたま市に対して、こう皮肉くる。 「アリーナの横にある大量の核廃棄物は、いずれどこかに処分を頼まなくてはならないかもしれない。そのとき何と言ってお願いするのだろうか」
絆、絆と掛け声ばかり掛けるが、住民の反対から瓦礫受け入れを表明しているのは4自治体しかないのはおかしいと新潮が批判している。もっともである。
反対に、おやと思うのが「『補償金リッチ』で『避難準備区域』解除でも自宅に帰らない」という記事。広野町の例を出し、人口約5500人のうち地元に戻った住民は約250人に過ぎないのは、東電から避難者に対して補償金が出るからで、帰宅するとその支給が打ち切られてしまうためだと、帰らない住民を難じている。もはや補償金はある種の既得権になっていて、そうしたカネを使って遊ぶからパチンコや競輪場が賑わっていると伝えている。そうした村民に「帰村宣言」を発表したのは川内村遠藤雄幸村長である。
「与えられることに慣れ、便利な都市生活を感じている村民が、働く意欲や耕作意欲、故郷に戻りたいという思いを失ってしまうのではないか、と危惧しています」
南相馬市の櫻井勝延市長もこう話す。
「復興とはふるさとに戻り、仕事をし、生活することです。東電の補償金がその妨げの要因になっていることは間違いない。(中略)生活を取り戻そうと努力する住民にこそ、補償金は使われなければならないのです」
もっともな意見だと思うが、ならば国や自治体が東電に働きかけて、地元へ戻って昔の生活に復するまで補償金を払うことを求めたらいいのではないか。文科省が放射線量の数値が下がったといくら発表しても、不信感をもった住民の不安を払拭することはできない。その不安感に対する慰謝料的な意味合いで、東電はこの人たちへの補償を続けるべきだと思うが、いかがだろうか。