西城秀樹リハビリ順調「死にたいと思ったけど、闘うのが使命」

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   昨年暮れ(2011年)、2度目の脳梗塞に見舞われた歌手の西城秀樹(56)が、笠井信輔アナのインタビューに応じた。左手で杖をつき、ややおぼつかない足取り。ただ表情はいつも通りで、「やっとここまで戻った」という。リハビリに励む姿も見せて再起を予感させた。

箸は持てるけどリモコンはすべる。「でも、やっとここまで戻った」

   おととい(2月21日)、横浜の自宅近くの公園に現れた西城は、ジャージーに赤いダウンジャケット。倒れてからテレビカメラに姿を見せるのは初めてだ。笠井とは不自由な方の右手で握手した。「もっと悪かった。1月の後半に退院するまでは元気なかった」という。家の中ではリハビリのために杖は使わないが、外では手放せないという。

   異変は12月20日に起った。「突然、千鳥足っぽくなって、階段から落ちた。立ち上がろうと思ったら立てなかった。おかしいなと、次の朝に検査したら詰まってた」。それも1度検査して「異常なし」。帰ろうとしたのを医師が引き止めて再検査でわかった。

   右手右足にマヒが出て、1人では風呂もトイレもできない状態だったが、発見が早かったので、回復も早かったらしい。最初は03年だった。韓国での公演中に声が出なくなって、以来8年間のリハビリを経て、昨年3月の震災の直前に中野美奈子アナのインタビューで完全復帰を喜んでいた。

   今回は「40周年記念」のディナーショーの直前だった。脳梗塞は再発の可能性がある。冬と夏は気をつけていたというが、「1回目よりショックは大きかった。落ち込んで、気持ち的には『死にたいな』ぐらいになった。また闘わないといけないのかと」

   いまもまだ手はしびれているという。箸は持てるがリモコンだと滑る。大きなゴムボールを使って足のリハビリの最中で、「なかなか難しい」と話す。歩き方もまだぎこちない。早足ができない。しかし回復は順調のようだ。

今週末26日に新潟でディナーショー「バラードなら歌える」

   結婚が遅かった西城は、3人の子どもはまだ小4が頭だ。その子どもに励まされたという。手伝ってもくれた。「病気した方が子どもはよく育つのかな、なんて思うぐらいでしたよ」。長男には「歌をやめたら怒るからね」といわれたそうだ。

   その歌は「ハードなのは無理だが、スロバラードは全部歌えるようになった」という。退院直後の1月28日には、富士市でのチャリティーコンサートで、座ったままバラー ドを歌った。「闘おうというのが正直な自分であって、それを見せるのが使命なのかなって思いました」

   司会の小倉智昭「秀樹にはステージに戻ってもらいたいからね」

   笠井は「本人はそのつもりです。気づいたのは表情がやわらかくなっていること」という。た しかにそうだ。しかし出てきた言葉は「闘う」「死」が多かったという。28日に次いで今月4日には岡山でトークショーをやった。26日には新潟でディナーショーがある。秀樹のバラードをじっくり聴くのも悪くない。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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