急逝したホイットニー・ヒューストンが、自暴自棄になったキッカケのボビー・ブラウンとの結婚について語っていた。2009年の「オプラ・ウィンフリー・ショー」という人気トーク番組で、日本でいえば「徹子の部屋」を過激にしたようなものだという。
ボビー・ブラウンはホイットニーより6歳年下だ。R&Bのスーパースターで、結婚生活は15年になったが、このとき3時間にわたって夫への愛憎を語った。
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」ヒットきっかけに荒れ始めた夫
「彼が家のものを壊して粉々にする時があった」
「私と彼と子どもの大きな肖像があった。彼はその絵の私の頭を切り落とした」
暴力から逃れるためにドラッグを選んだ。ドラッグ中毒、アルコール依存症は後半生の彼女の代名詞内なった。「最初は少なかった。回数が増えたのは娘が生まれてから。私は大金を持っていたし、誰もが『何が欲しい?何が必要?』と聞いてきたから」
「結婚した頃、彼は私に暴力を振るうのをすごく恐れていた。彼に対しては『OK、ボーイ』『覚えなさい』『何度いえばわかるの』って感じだった」
しかし、数年で彼の態度は一変した。「覚えているのは彼の誕生日の日、ボビーはかなり酔っていた。私に暴言を吐いて、気分が悪くなった。家に帰ってきた時、彼は私につばをはきかけた。娘は階段に座って見ていた。これは強烈だった。なぜこんなことが起きているか理解できなかった。彼は憎しみを込めた目で私を見ていた」
ボビーの暴力が始まる。「私をカベに押し付け、まるでドラマのようだった。『私は何もしてないわ』と言い続けた」
通報でボビーは逮捕される。夫婦の亀裂は「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の爆発的なヒットがきっかけだった。「映画 『ボディガード』のあと、ボビーと衝突した。あのアルバムは私を有名にしたけれど、彼は『ホイットニーに嫉妬してるだろう』といわれてイライラしていた」
米国メディアは「娘の自殺」を心配。彼女もまたドラッグ中毒
97年に日本を訪れた時、ボビーは口論の末、高速道路で50万ドルの結婚指輪を投げ捨てたことがあった。そんなときにホイットニーが選んだのがドラッグだった。「コカインとマリファナ。ボビーは私のドラッグだった。彼と一緒だから私はハイになれた。笑い合って楽しかったわ」
2人は再びつながっているかのように感じたという。しかし長くは続かなかった。「彼がスプレーで絵を描き始めて、ただの目よ。悪魔の目。それを見ていて『ここでいったい何をしているの』って、だんだん恐ろしくなった」
「母が保安官と家に来て、『裁判所の命令がある。言う通りにしなければ引退よ』と。私は スニーカーと下着を小さなバッグに入れて家を出た」
そのとき姉が撮影した家の中の惨憺たるありさまは雑誌に載った。離婚から2年後、舞台に復帰した。みな復活を信じた。インタビューが行われたのはこの時だ。だが、翌2010年 のツアーで高音が出なかった。ふたたびアルコール依存に戻る。
インタビューで娘のクリスティーナについて語っている。「別れたことを彼女は怒っていた。理解できなかったのよ。私に反抗した。私はいつも彼女のドアをノックして愛してると言い続けた」
その18歳の娘もまた、ドラッグ中毒だといわれる。ドラッグ吸引を写真に撮られたり、病院に搬送されたりしている。母のあとを追ってしまったのだ。2011年のプリンスのコンサー トでは、母子で乗り過ぎて浮いてしまった。いま新聞は娘の「自殺を警戒する」と書く。
司会の小倉智昭が、「ドラッグ売りつけられた時も、法外な値段だったろうね」
笠井信輔アナ「1億円使ったといわれますね」
アメリカのの芸能記者は「彼女は声を失った事実を受け止められなかった。ホイットニーはまだボビーが好きだった」と伝えている。