永世棋聖が歴史的敗北を喫した。コンピューターがプロ棋士並みの頭脳を手に入れたことに驚かされたが、どうやってコンピューターは人間の頭脳に近づくことができたのか。「永世棋聖vsコンピューター」の対局を通して、人間の頭脳を持ち始めたコンピューターの軌跡と可能性を内多勝康キャスターが追った。
奇策にも慌てず、「大山康晴名人と指していた感じだった」(米長)
コンピューターに人間と同じような頭脳を持たせようと人工知能の研究が始まったのは1950年代だ。チェスを相手に研究が進み、1997年にチェスの世界チャンピオンを下すまでに進化したが、究極の頭脳ゲームいわれる将棋でプロ棋士に近づくのはまだ遠い先と見られていた。チェスに比べて、将棋は10手指す間におよそ10京(1京は1兆の1万倍)通りもの局面が考えられるとされ、「81マスの宇宙」と呼ばれているほど複雑だからだ。
今回、対局したのは日本将棋連盟会長で、現役時代に19のタイトルを獲得した米長邦雄永世棋聖と将棋ソフトの「ボンクラーズ」である。ボンクラーズは3年前に開発された後も改良を重ね、今ではアマチュアトップクラスでは歯が立たないほど強く、勝率9割5分を誇っている。
対局は米長がコンピューターの弱点を突く形で始まった。「あえて最善でないことをやる。手がいくつもある局面に導き、問題を複雑化する」という作戦だった。さすがに、ボンクラーズが押され気味に進む。米長の狙いは、玉の周りに駒を従え、そのまま敵陣へ突入する入玉。コンピューターにはない、プロ棋士独特の大局観、勝負勘だ。
ところが、米長が「狙い通り」と思って運んでいた中盤で、ボンクラーズが飛車を左右に動かすだけという奇妙な動きを見せ始めた。控室の映像で観戦していたプロ棋士たちは、米長が玉の前に築いた壁をボンクラーズが攻めあぐんでいると楽観していた。しかし、当の米長は違う見方をしていた。「あれは私が襲いかかるのを待って、カウンターパンチを狙っている刺し方。極めて実践的で、私が挑発に乗るのを待っていた」という。
開始から3時間後、米長が玉を一段上げて8三玉に、さらに遠くの金を玉に引き寄せたことから形勢逆転する。米長の鉄壁の守りが突き崩され、113手目でボンクラーズが永世棋聖を打ち負かしたのだ。終わって米長は、「私の間違うのをじっと待っていた。そういう点で(昭和の名人)大山康晴と指していた感じだった」とため息をついた。
「機械学習」が可能にした分析・応用・取捨選択
人間のようなしたたかさを持つコンピューター。それを可能にしたのは画期的プログラム「機械学習」だという。ボンクラーズには、江戸時代から現在までのプロ棋士の5万局の対局のデータが入力されている。記憶するだけでなく、プロ棋士がどんな時に有利になるかを分析し、優れた指し方の原則を見つけ、未知の局面でも自分で応用ができる能力や取捨選択の技術を身につけた。
ボンクラーズを開発した伊藤英紀は、「プロの指す手と同じ手を、100%でないけれど、かなりの確率で指すようになってきた」と自信のほどを語る。
内多「プロ棋士に立ちはだかった機械学習ですが、これは何ですか」
人工頭脳に詳しい電気通信大助教の伊藤毅志が解説した。
「コンピューターには、局面をどちらがどのくらい優勢かを評価する評価関数がある。以前は手作業で入れていたが、これを自動的に機械に学習させる手法が開発され、プロ棋士に近いような局面の評価ができるようになった」
内多は「機械学習が新たなステップに入ったことで、次に何が待っているかワクワクしますが、コンピューターに凌駕されるのでは」と心配したが、伊藤助教は「人間とコンピューターは違うので、長期プランは人間、単純作業はコンピューターにやらせることが必要になってくるでしょう」と答えた。
人間の頭脳に近づいてきているコンピューターも、使うのは人間。まださほど心配するほどではないのかも。むしろ、文科省の「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のように、あっても使わない粗大ゴミ化を心配したい。
モンブラン
*NHKクローズアップ現代(2012年2月8日放送「人間VSコンピューター 人工知能はどこまで進化したか」)