昨年11月(2011年)、東京・新宿の築50年の木造アパートが焼けた。高齢者5人が亡くなったが、うち4人は遺体の引き取り手がなく、1人はいまだ名前もわからない。入居者23人のうち14人が生活保護を受ける1人暮らしだった。避難して無事だった牧口十八さん(68)もその1人だ。各部屋は4畳半ひと間、風呂はなく、トイレは共用だった。住民同士の付き合いはなく、火事の時に声を掛け合うこともなかったという。「福祉の人間だから、他人に関わるのは御法度。恥をさらすまいと孤独になっちゃう」
新宿区にはこうした生活保護受給者が集まるアパートが128棟あるという。不動産業者は彼らを「福祉の人」と呼ぶ。家賃は月5万3700円、支給住居費の上限に近い額である。
火事を逃れたもう1人の71歳の男性は、8年前から受給者になった。「ちゃんとしてれば迷惑かけないのに」と負い目を口にする。36歳 のときに経営していた会社が倒産。妻子と別れ、建設現場で働いたが、腰を痛めて働けなくなった。「自分がそうなるなんて考えもしなかった。 尊厳も根源もなくなる」
生活保護受給者65歳以上が4割
全国の生活保護受給者は2011年には過去最高の206万人になった。08年のリーマンショック以降にほぼ倍増。42%が65歳以上だ。高齢人口と困窮世帯の増加に対応が追いつかない。新宿区内の受給者は8400世帯。フォローするケースワーカーは、1人で100人を受け持つ。「きめ細かいケアは不可能」という。
NHKが生活保護受給者にアンケートをした。150人 が回答し、「人に会わない日がある、時々ある」68%、「孤独を感ずる、時々感ずる」58%、「自殺を考えた、時々考える」34%だった。浮かび上がったのは「負い目」「それが日常生活を制約する」「知られたくない」―友人とも会わなくなり、故郷にも帰らない。湯浅誠・自立生活サポートセンターもやい事務局長(内閣府参与)は、受給者の負い目を偏見からだという。
「そこまでいくのは自立心がないからだという社会一般の目がある。そう思っていた自分が受け取る側になるのだから、負い目は一層強い」
脳梗塞でも名前も身元もわからず「川越太郎」
国谷裕子「どうやったらポジティブになれるのでしょうか」
湯浅「生活保護は必要条件だが、十分条件じゃありません。場所作りが必要なんです。自分が必要とされる存在だと感じられる場。それと孤立させないためのコーディネーター。数が足らないから、NPOの支援も考える必要があります」
病気や介護となるとさらに深刻だ。東京・北区の神谷病院は入院患者の半数以上が生活保護受給者である。ここに埼玉の施設から来た患者がいた。脳梗塞で意識が戻らないままで、名前もわからない。川越で救助されたので「川越太郎様」となっていた。
病院で受け入れきれない部分をNPOが担っている。川崎の「SSS」は首都圏131か所で4500人を受け入れる。月の費用は14万円。生活保護費のほぼ全額だ。しかし、これらの人たちはたとえ治っても行き先がない。「社会全体の受け入れる力が必要」と湯浅はいう。
「具体的にはコミュニティー作りです。ちょうど震災の被災地と同じで、いろんな人が共に生きていく、排除はしない、サポートを受ける人も地域生活を続けられるようなことです。日本はこうした蓄積が乏しい。支え合いの力を高めることが求められているのです」
湯浅は「社会のケア力」ともいっていた。響きはいい。が、病院のベッドで「こうして片隅で死んでいくんだ」とつぶやいた老人の悲惨。生活保護費を食い物にする現実もある。自分もいつそうなるかとおびえる予備軍もいるはずだ。
*NHKクローズアップ現代(2012年1月12日放送「『無縁老人』」をどう支えるか~生活保護急増の中で~」)
ヤンヤン