オウム「斎藤明美」出頭の計算―哀れ演じ自分と平田の刑軽減

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「17年間、私は偽名で生活し、仕事をしてきました。そんな偽りの人生を終わります」

   オウム真理教の元幹部・平田信容疑者(46)を17年間かくまい、10日(2012年1月)に出頭した斎藤明美容疑者(49)が弁護士を通じこんなコメントを出した。

   平田の逃亡生活を支え続けた斎藤の健気さについホロリとさせられるようなコメントなのだが、オウムの凶悪犯罪に関与した人物に対する世間の目はそんなに甘くない。番組コメンテーターたちも「罪を何とか軽くしようという意図が見える」と冷ややかだ。

オウム教団の占いで東北に逃避行

   斎藤とはどんな女なのか。オウムに詳しい有田芳生参院議員によると、福島県出身で看護師の資格を取り東京に出てきた。大学病院などで働いていたが、オウム真理教に入り出家、教団の「治療省」で働いていたごく一般の信者だったという。その斎藤が弁護士を通じて次のように17年の逃亡生活を語った。

「平田とは面識があって尊敬していた。平田と教団を出た当時、平田が関与したという事件のことは何ら知らなかった。平田の指名手配は2人が出たあと、たしか(95年)8月でした。その後、福島、宮城、青森、そして仙台と逃げた。仙台では料亭に住み込みで働いていた」

   なぜ東北だったのかについては、教団は当時、逃亡先を占いで決めていたのだという。仙台の住まいは従業員寮で、寮は異性を入れてはいけない決まりだが、当時の関係者によると男性がいたという。

「その後、大阪に行った。大阪では3か所で1年、7年、7年、計15年ぐらい住んだ。生活は、私が仲居、喫茶店員、事務員などの仕事をしていた。私が知る限り、平田は住まいの移動以外は一切外へ出ませんでした」
文   モンブラン| 似顔絵 池田マコト
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