さんざんによっぱらい、あと数分で新年を迎えるというときにおソソをして、反省しきりの二日酔いで目覚めた元日の昼。新聞をペラペラめくっていると、ある特集記事に目が止まった。「そうだよね~」「へぇ~」と、おばちゃんのように声を上げながら読んでしまう。
溜息交じりで読んだのは「視聴率ではなく視聴質へ」という記事だった。テレビ番組の視聴率と視聴質の反比例現象は以前からいわれているけれど、オンデマンド放送でその様相が分かりやすくなっていると書かれている。多くの人に観て頂くように苦心しても質が悪いと言われ、質を高くしたつもりが数字が取れないと打ち切り。番組というモノ作りはなかなか難しい。
番組メールで「私のこれを教えてあげたい」
視聴率にそれほど左右されないが、テレビ以上に視聴質に左右されるのがラジオだ。毎分毎分、視聴率がグラフに表れ一喜一憂するテレビ番組ほど神経をとがらしているわけでもない。ラジオの頼りは、今でも昔ながらのスタイル、リスナーからのお便りだ。番組を聞いていただいた方との距離がグッと縮まり、ぬくもりが生まれる。出演者・制作側もあるときは励まされ、ある時は気を引き締めなくてはならないバロメーターである。そう、これが視聴質なのではないかと思う。
ところが、最近はその頼りにしているリスナーからのメール内容に変化があるように思える。テーマを設け、エピソードやご意見を送っていただくスタイルの番組によくあることで、メールの内容がホントウにあったことなのか怪しいのだ。昔のエピソードを送ってくださいというと、プチ武勇伝モノと自虐モノの2つにわかれる。その武勇伝モノがどうやら自慢話に終わらなくなっているのが多い。何かひとつ教訓めいた言葉を添えてお送り頂く方が増えているのだ。へぇ~ほぉ~と感心するものも多いのだが、「ちょっと上から目線のご意見&マイ格言・名言」といった感じのものも少なくない。
「寝てしまえば夢はみることができますが、叶えることはできません」「このデザインが好き!だけで物選びをすると、自分ヨガリな人になりますよ」「運動など体を動かしていないと、気持ちまで肥満になると思います」
これってブログ依存社会の影響なのか。要は、自分の生活自慢じゃ物足りなくなって、思考自慢・知識度階級自慢の世界に入ってしまったんじゃなかろうか。思えばブログが登場し始めたころ、映画評論家という仕事がなくなると言われた。今や持論を展開するだけでなく、格言のひとつや2つ、言いたくなってしまうのだろうか。なんだかむずがゆい。
モジョっこ